佐山聡が語るタイガーマスクを辞めた真相「猪木イズム」を原点に突き進んだ格闘技の道 (3ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by 東京スポーツ/アフロ

【佐山にとって「アントニオ猪木とは」】

 修斗には10年間、創設者として携わったのちに1996年に運営から離れた。それがきっかけで、再び猪木さんとの"師弟関係"が復活することになった。

 猪木さんに呼ばれて新日本に参戦。さらに1998年には、引退した猪木さんが設立した「UFO」に参加し運営に携わる。1年後の1999年には同団体を離れ、市街地型実戦武道「掣圏道(後の掣圏真陰流)」を設立。65歳となった今年に入り、新たな武道「神厳流総道」を立ち上げ、格闘技と武道の新しい道を創造し続けている。

 一方でプロレスでは、2005年に初代タイガーマスクとして、ストロングスタイル復興を目的にプロレス団体、現在のストロングスタイルプロレスを主宰して後進の育成に尽力している。

 波乱万丈、紆余曲折の人生。佐山はこう振り返る。

「新日本プロレス、シューティング、修斗......僕の中では全部、つながっています。それは、すべて『アントニオ猪木』からスタートしているということ。猪木イズムがなかったら、ここまでできていなかったと思います」」

 佐山が創設した「修斗」を起爆剤に、1990年代に入りアメリカで『UFC』が人気を呼び、現在は世界中に総合格闘技が根付くことになった。佐山こそ総合格闘技の祖。そして猪木さんの没後には、「猪木vsモハメド・アリ」が格闘技の原点と評されることが多くなっている。佐山は、この見方に対して自らの考えを強調した。

「総合格闘技の原点について、一般の方々にとっては『猪木vsアリ』なのかもしれませんが、私たちにとっては"猪木イズム"こそが原点なんです。あの道場で強さを追求した猪木イズム。あの魂がすべての原点なんですよ。そこだけは忘れてはいけない、非常に重要なことです」

 10月1日に迎えた猪木さんの一周忌。あらためて佐山に「アントニオ猪木とはどんな人だったか?」を聞いた。

「僕は『猪木さんのためなら命はいらない』と思っていた時期があった。そう思えるほどの人間でした。僕にとっての"象徴"です」

 少し天を見上げ、言葉を続けた。

「猪木さんの影を忘れないようにして生きていくことが大切だと思います。僕は、自分が信じた『アントニオ猪木』を偶像にして生きていきます」

【プロフィール】

佐山聡(さやま・さとる)

1957年11月27日、山口県生まれ。1975年に新日本プロレスに入門。海外修行を経て1981年4月に「タイガーマスク」となり一世を風靡。新日本プロレス退社後は、UWFで「ザ・タイガー」、「スーパー・タイガー」として活躍。1985年に近代総合格闘技「シューティング(後の修斗)」を創始。1999年に「市街地型実戦武道・掣圏道」を創始。2004年、掣圏道を「掣圏真陰流」と改名。2005年に初代タイガーマスクとして、アントニオ猪木さんより継承されたストロングスタイル復興を目的にプロレス団体(現ストロングスタイルプロレス)を設立。2023年7月に「神厳流総道」を発表。21世紀の精神武道構築を推進。

(終わり)

3 / 3

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る