【水泳】松田丈志「最後かなと思った五輪で、逆に先が見えたんです」 (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Honda Takeshi

――競技を続けると決めて平井伯昌コーチの指導を受けるようになったけど、子供の頃から一緒だった久世由美子コーチから離れるのは悩んだでしょうね。

松田 ずっと一緒にやってきたコーチですから悩んだし、じゃあ離れてどこでやるんだというところでもすごく悩みましたね。今までも自分でいろいろ考えてやっていくという楽しさは当然あったけど、五輪前はライアン・ロクテの所へ行ったり、メキシコで外国選手と合宿をしたりして、周りから刺激をもらいながらやるのもまた違う楽しさがあるな、と感じたりもしてたんです。

――チーム平井を選んだのも、ひとりではなくいろんな選手がいるところでやってみたいという気持ちからですか。

松田 それはやっぱりありましたね。僕みたいにマンツーマンでやっていることの方が珍しいですから。五輪前には、金メダルを獲ったらどこか海外に行って、楽しくできればいいななんて思い描いていたんです。でもそうじゃなかった。やる限りは上を目指さなければ周囲も納得しない。シビアに勝負するならば、海外へ行くより日本で日本人のコーチに見てもらう方がいいと思って。そうなった時に平井先生しか思い浮かばなかったんです。金に届かなかったのは何なのかというのを考える上でもそうだし、自分が今まで思ってもいなかったアイデアとか、考えてはいたけど確信が持てなかった部分を平井先生とうまくリンクさせていけば面白くなると思いましたね。

――平井コーチが東洋大へ行くようになってチーム平井を立ち上げるというタイミングの良さもありましたね。

松田 そこは運が良かったですね。世界のトップを目指すチームがあって、そこで日常的にやれるというのは僕にとってもすごく魅力的だし。これから社会人選手が増えてくるだろうから、そういうチームが日本に何チームかできて、互いに切磋琢磨できるようになれば、日本水泳界にとっても良いと思いますね。

――五輪のメダルで7月の世界水泳選手権の代表は決まっていますが、今後はどういう風にしていくつもりですか。

松田 とりあえずは世界水泳選手権の結果でしょうね。そこで自分がどう思うか。それと新しい環境でワンシーズンを過ごしてみてどう思うかですね。ただ、世界で勝つことを目指せなくなったら、その時点で終わりだとは思っています。今完成させたいと思っている泳ぎが、1年後には違うものになっている可能性もあるし。正直わからないですね。

――改めて、ロンドンで得たものというと何ですか。

松田 選手とスタッフを含めた40人くらいがひとつの目標に向かってグッと固まったときに出せた力強さは本当にすごかったし、ものすごく心地よかったんですね。だからそれを形として残したいという思いもあって、みんなで本にまとめたんです。それがこれからの五輪で、競泳チームが目指していく手本になればいいなと思うし......。僕にとっては一生記憶に残る出来事だったな、と思いますね。

2013年1月25日発売!
「つながる心~ひとりじゃない、チームだから戦えた」
競泳日本代表はなぜロンドン五輪で11個ものメダルを獲得することができたのか。
27人が心をひとつに戦えた理由とは?

3 / 3

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る