【競馬】前例のない外国人による牧場開場は、どうやって実現できたのか (2ページ目)

  • 河合力●文 text&photo by Kawai Chikara

 いまだに「あのときのショックは忘れない」と語るスウィーニィ氏だが、結果的にその出来事が、彼に日本で牧場を開く"可能性"を見出させた。

 とはいえ、それはあくまで"可能性"の話。現実的にはやはり厳しく、相談したほとんどの人が、口をそろえて「難しい」と答えたという。言うまでもなく、馬産を行なううえで何より重要なのは、農地の取得。それさえクリアできれば、さまざまな機関への登録もスムーズに行なえるが、これがもっとも困難だったからだ。

 当時を振り返って、スウィーニィ氏はこう漏らした。
「外国人が日本で農地取得を試みるのは、まるでミサイルを作るかのように、大げさなことに思えました。当時は、そういった前例もないようでしたしね」

 スウィーニィ氏は、それでも諦めなかった。周囲の人間が無謀な挑戦として横目で見ているだけの中、ひたむきにチャンスを探した。すると、幸運な出会いが待っていた。

「どのエリアで土地を取得できるのか、当時はまったくわかりませんでしたから、とにかく情報を得ようと、私は静内町、新冠町、門別町の農業委員会に行って、それぞれの担当者に相談しました。どの方も相談に乗ってくれましたが、なかでも、門別町の方はとても親身になってくれ、大変有効なアドバイスをしてくれたのです。彼が言うには、『個人では難しいが、有限会社としてならチャンスはある』とのことでした。私が取締役になって、さらに日本人スタッフが1、2名いれば、『可能性はあるのではないか』と」

 スウィーニィ氏はその助言を得て、すかさず有限会社パカパカファームを設立。同時に、農地取得を申請するための土地探しを始めるのだが、これについては彼の中でいくらか見通しが立っていたという。というのも、フリーのトレーダーとしてあらゆる牧場を回っていた際に、いくつかの牧場の土地に目をつけていたからだ。

 その筆頭候補が、当時の『サンシャイン牧場』本場だった。

「あの頃、サンシャイン牧場さんは日高にある分場がメインになっていて、新冠町にある本場はほとんど使われていませんでした。でも、土地も環境もすごく良くて、もしこのまま使用しないのであれば、私に譲ってもらえないだろうかと考えていた場所でした。それで、サンシャイン牧場さんに話をしてみると、いいタイミングだったようで、前向きに検討してくれました。そして、あとは細かい部分をいろいろと相談して、農業委員会のOKさえ出れば、土地を譲ってもらえることになったのです」

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