パリ五輪世代の秘密兵器 FW二田理央がオーストリアで飛躍「得点王になりたい」 (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text&photo by Asada Masaki

――その活躍もあって、昨季は2部のザンクト・ペルテンに期限付き移籍。ただ、左肩の手術があって長期離脱となってしまいました。

「(昨年6月の)U-19日本代表のフランス遠征(モーリスレベロトーナメント)の初戦で、相手を(腕で)抑えようとした時に思ってもいない方向に腕を持っていかれて、肩が外れてしまったんです。その時はすぐに自分で(外れた肩を)はめられて、そのまま試合も出たんですけど、最後の試合の2日前くらいの練習で、バランスを崩して手をついた時に完全に外れてしまって......。救急車で病院に運ばれました」

――それで手術をすることに?

「いえ、その時は保存治療で、8月にはチーム(ザンクト・ペルテン)に合流したんです。それで9月~11月くらいはプレーできたんですけど、ウインターブレイクに入る直前の練習でまた脱臼しちゃって。そこで検査を受けたら、もう手術するしかないということになり、12月に向こうで手術しました」

――チームの全体練習に戻れたのはいつですか。

「3月下旬に復帰しました。最初の1週間はさすがに自分でも慣れていないなと思いましたけど、次の週からはベンチに入れて、途中出場できました。練習復帰から試合に出るまではわりとすぐでしたね」

――長期離脱はありながらも、2部で1年プレーしてみてどうでしたか。

「代表でのケガから復帰したあとの何試合かは、イマイチうまくいかないっていうか、『自分はもっとできるはずなのに......』みたいな感覚が続いていたなかで手術することになったので、(復帰後も)少し不安はありました。

 でも手術が終わって、また復帰して(復帰2戦目の第22節の試合で)1点取れて、ちょっと波に乗ったっていうか、『やれる』っていう感じもありましたし、途中出場でしたけど、30分くらいは出場時間をもらえていたので、徐々に自分のリズムが出てきました。

 やっぱりゴールを決めるまでは、なんかこう......『早く決めないと』って自分でも変な方向へ意識がいっちゃって、それでミスをしちゃったりもありましたけど、ゴールを決めたことでちょっと肩の荷が下りるというか、『やっとスタートライン立てたな』みたいな感覚になれて。それで(第29節の試合で)2点目も決めることができて、シーズンの最後のほうは自分的には『やれる』っていう手応えがありました」

――ただ、先発出場したのは第30節のシーズン最終戦のみ。ポジションをつかむまでには至りませんでした。

「チームが1位だったこともあるし、他にもFWの選手は多くいたので、なかなか変えづらい状況ではあったと思います。もちろん『スタメンで出してくれよ』っていう気持ちがなかったわけではないですけど、絶対に後半出してくれる状況にはなっていたので、まずは置かれた立場でやれることをやって、認めてもらうしかないなと思っていました。

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