絶大な人気を誇ったアイマールの時代は遠い過去に 2年連続CL決勝進出の名門バレンシアが降格危機に陥ったのはなぜか (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by AFLO

【メッシも憧れたテクニシャン】

 その後も、ワールドクラスのストライカーたちが台頭している。ブルガリア代表リュボスラフ・ペネフ、ユーゴスラビア代表プレドラグ・ミヤトヴィッチ、アルゼンチン代表クラウディオ・ロペス、スペイン代表ダビド・ビジャ、ロベルト・ソルダード、パコ・アルカセル、ロドリゴ・モレノなど、錚々(そうそう)たる面子がゴールの山を築き、大金を残してビッグクラブへ移籍していった。

 クラブとしては「堅守速攻」が代名詞になった。90年代終わりからチームを率いたクラウディオ・ラニエリ、エクトール・クーペル、ラファ・ベニテスの3人は、それぞれ戦術的に異なるが、ラニエリがカテナチオ的な守備の土台を作り、クーペルが攻守を分けた南米的な発想を導入し、ベニテスがプレッシング戦術を組み合わせて完成させた。チームは欧州戦線で次々に大番狂わせを演じ、リーガでは2度の優勝をもたらしたのだ。

 日本でも、C・ロペスの電光石火のカウンターが鮮やかだった時代は密かな人気チームだった。2年連続でCL決勝に勝ち進み、ジャイアントキリングが話題に。中盤に君臨したスペイン代表MFガイスカ・メンディエタは金髪のオールラウンダーで、現代でも好まれそうなプレーヤーだった。

日本でも女性からの人気が高かったバレンシア時代のパブロ・アイマール日本でも女性からの人気が高かったバレンシア時代のパブロ・アイマールこの記事に関連する写真を見る 一気に注目を浴びたのが、2001年にアルゼンチン代表ファンタジスタ、パブロ・アイマールが入団してからだろう。小柄ながらボールコントロールだけで相手の逆を取れたし、パスセンスの意外性は他を圧倒していた。守備を重視したチームでポジションが与えられない時期もあったが、一本のパスが格別だった。そのプレーにはリオネル・メッシも憧れたほどだ。

 しかし、すべて遠い過去の話となった。なぜバレンシアは凋落の一途をたどったのか?

 早い話が、空前の不動産バブル崩壊が、クラブの構造を打ち砕いたのだ。

 2000年代初頭、クラブは行政と手を組むことで、郊外に新スタジアム建設を目論んでいた。銀行の融資を得て、土地を買い、建設工事を着工。その代わりに、市内にあるメスタージャや練習場の土地を売却するはずだった。

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