柏木陽介が語る引退の経緯、浦和での規律違反...「5年前くらいから(サッカーが)楽しいって感覚がなくなっていた」 (3ページ目)

  • 浅田真樹●取材・構成 text by Asada Masaki

――キャリアの終盤は、もうサッカーが楽しいとは思えなくなっていたのですか。

「浦和での最後のほうもそうだったけど、自分が思い描いているやりたいサッカーと、現代のサッカーが真逆の方向に進み始めたなって感じていて。サッカー全体がフィジカル(重視の傾向)に振りきってきたのが5年前くらいかな。その頃からずっと、楽しいという感覚がなくなってきていた。

 岐阜に来て、それこそケガをしてから走れなくなったりというのも大きかったし、そろそろ本当に、自分はまったく求められていない選手なんじゃないかというのを感じながら、それでも、むしろこういうタイプが必要なんじゃないかと思ったりもして......」

――すでに浦和にいた頃から、何となくモヤモヤしたものを抱えてプレーしていた、と。

「何となくじゃなくて、かなりありましたね。それでも勝てればいいけど、結果が出ていないのがすごくもどかしかった」

――自分で蒔いた種とはいえ、そんなもどかしさを抱えたまま、不本意な形で浦和を離れることになった。

「あの時は本当に申し訳なかったのはもちろんなんですけど、そうなる前から自分がうまく(試合に)絡めなくなって、それを態度に出してしまっていたことが一番申し訳なかったと思っています。それまでうまくいきすぎていた部分があったから、(試合に出られない不満を)態度に出してしまったり、そういうことでチームに迷惑をかけているところが多かったから。

 あの件(キャンプ中の規律違反)に関しても申し訳ないけど、それ以前の自分の振る舞いがそうさせたんじゃないかと思っているので、それに関してすごくこう......、僕に言いたいことがある選手もいただろうし、そういうことをちゃんとできないままチームを去るということのほうが心苦しかったです」

――日本代表経験もある選手がいきなりJ3でプレーするのは、特に気持ちの面で難しかったのではないですか。

「そこは本当に難しかった。みんな練習のなかではうまいけど、コートが広くなっていくと、それぞれのつながりとか、情報量が多くなった時の頭の回転というところでうまくいっていなかったし、そのなかでよりフィジカル(重視)になっていったのは感じていたし。

 でも、みんなが一生懸命やっているなかで、どうしたらチームがよくなるのかと考えながら自分としては張りきってやっていたし、ここでやっていく覚悟はできていました」

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