横浜F・マリノスに加入した選手たちが驚くこと。水沼宏太が語る新シーズンへの手応え (3ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • 藤田真郷●写真 photo by Fujita Masato

【プロ入りしてGKをやることもあった】

――2007年10月、水沼選手はヴァンフォーレ甲府戦で横浜FMの選手としてJリーグデビューしました。当時、高3だった自分にタイムマシンで会ったら、なんと声をかけますか。

「『いろいろ大変なことはあるぞ』って(笑)。当時は、"高校で試合に出ているんだから、プロでもすんなり試合に出られるだろう"と思っていたんです。年代別代表にも入っていたし、トントン拍子でいくんだろうなって。それが間違いでした(笑)。プロ1年目、2年目は、思うように試合に出られず、出てもGKをやることもあった。でも、『とにかく諦めないことが大事だよ』って」

――なんて返してくるでしょうね?

「『大丈夫だよ、そんなの言われなくても』って(苦笑)。当時は自信だけはあったというか......。もしネガティブだったら、少し試合に出られるようになっても、すぐにしゅんとなってしまい、自分を出せなくて終わっていくパターンだったかなって思います。試合に出て活躍したいって強い気持ちがあったからこそ、栃木へ移籍して、そこから道が開けたわけですから」

――這い上がってきた選手という印象ですが、暗さがないのがいいです。

「昔から『明るいね、元気だね、声でかいね』は言われます(笑)。親のおかげで、笑っている家族だったので。原点ですね。へこむ時間がもったいない。嫌なことを忘れているタイプで、たとえば昔、F・マリノスでは試合に出られず、つらかったこともあるはずですが、偉大な先輩に言われたことや、いいことしか不思議と覚えていない。いいイメージを持って、毎日どんどんいこう、と。もともと明るいですけど、最近は家族がさらに引き上げてくれています。とくに娘を見ていると、"限界なんてないじゃん"って。何の情報にも左右されず、いつも成長している。それが人間だよなって思うんです」
(つづく)

プロフィール

  • 小宮良之

    小宮良之 (こみやよしゆき)

    スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。

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