Jリーグを席巻するサガン鳥栖指揮官は女子サッカーからスタート。「今とまったく変わらなかった」 (2ページ目)

  • 小宮良之●文 photo by Komiya Yoshiyuki
  • 藤田真郷●撮影 photo by Fujita Masato

「周りに指導者がいなかった」

――少年時代が原点だと。

「監督がサッカーを知らない、『僕が教えてもいいってことか!』って(笑)。面白いことが好きなんですよ。練習メニューを作って、そこで課題が出るんですが、そのたびに解決するのが楽しい」

――我流のルーツですね。

「自分の場合、Jリーグで指導を受けた監督はひとりしかいなくて、それもたった1年。指導者を始めた時は愛媛の田舎で、まずは指導者が周りにいない(笑)。何かわからないことがあっても、誰かに聞けない。指導者ライセンスを取りに行ったのも、離れ小島のような場所でやっていることが正しいのか、確認するためでした。S級ライセンスの取得も、当時、A級までは持っていて。クラブW杯でバルセロナが来ることになり、『ひと目、見たい』とチケットを取って横浜に行ったんですが、次の日、S級のトライアルが山梨であると聞いて。『近いし、行ってみるか』と。立地もわからず、朝5時に出ないと間に合わない距離だったんですが(笑)。そこで合格しても断れると思っていたら、受かったら受講しなければならないという書面にサインし、受かってしまい......」

――野心よりも導かれたという感覚ですね。

「そうですね。『野心を持て』と言われるかも知れないですけど、そういう環境に身を置いたことがない(笑)」

――女子サッカーを10年以上、指導していたわけですが、何がやりがいだったんでしょうか?

「今とまったく変わらないですね。日々のトレーニングをする、選手を成長というよりも、満足させる。満足することでうまくなり、試合に勝てるか。そこでの勝ち負けの価値は、Jリーグだろうとなんだろうと変わらず、単純にうれしいですから」

――女子サッカーの指導者として、"自分はもっと認められていいのに"というコンプレックスは抱きませんでしたか?

「僕は女子サッカーから指導者をスタートしました。それを『経歴から外したほうがいい』と言う人もいますが、僕は恥ずかしく思っていない。『どうしてですか?』と。他のスポーツは男女でサイズが変わりますが、サッカーはボールもピッチのサイズも同じで、違うのは体の大きさだけ。別のスポーツと思いません」

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