ジュビロのN-BOXが炸裂した2001年、ライバル鹿島との一戦 (3ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi


 福西にも、苦労した記憶が鮮明に残っている。

「ヒデジ(鈴木秀人)にはよくサポートしてもらったし、『あそこはヒデジが行って』とか『ここは俺が行くね』とか、イメージのすり合わせをよくしていた。それは僕らだけじゃなくて、みんなが『そこ、行けよ』とか『どこ、切ってんだよ』って言い合っていた。『お前が寄せないから、サイドを変えられたじゃないか』とか、原因の追及も厳しくしていました」

 新戦術・新システムに取り組むにあたって、攻撃のパターン練習、フォーメーション練習はほとんどしていない。攻撃はすでに形になっていたからだ。トレーニングの8割方がプレッシングやポジショニングの確認や、5対5、4対2、3対3などの攻防で、狭いエリアにおける状況判断やスキルを磨くことに費やされた。

 練習が終われば、誰かのひと声で、昼でも夜でも、大勢で食事に行って話し込んだ。

「車のこととか、プライベートのこととか、いろんな雑談をしているんだけど、最終的にはサッカーの話になったよね。そうやって話し合いながら、約束事とか阿吽(あうん)の呼吸というものを築き上げていった」

 それでも第4節で宿敵・鹿島と戦うために国立競技場に乗り込んだときには、「難しいゲームになると思っていた」と名波は言う。

 ところが、新戦術・新システムは大一番で鮮やかに機能するのだ。

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