1年夏で「高校野球は終わった」と悟った江川卓の控え投手は、公式戦わずか16イニングの登板で大洋から2位指名を受けた (4ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

 この大橋の甲子園登板には、江川がひと役買っている。5回が終わった時点で、作新の監督である山本理に「すみませんけど、大橋に投げさせてやってもらえませんか」と進言していたのだ。江川が言う。

「大橋とふたりで頑張ってきたんだから、どうしても甲子園で投げさせてあげたいと。点差も開いていたので、監督にお願いしました」

 もし早い段階で江川が作新進学を打ち出していれば、大橋は違う高校に進んでいたはずだ。自分のせいで大橋の野球人生を狂わせてしまったという悔恨の念が、江川のなかにあったのだろう。

(文中敬称略)

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江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している

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プロフィール

  • 松永多佳倫

    松永多佳倫 (まつなが・たかりん)

    1968 年生まれ、岐阜県大垣市出身。出版社勤務を経て 2009 年 8 月より沖縄在住。著書に『沖縄を変えた男 栽弘義−高校野球に捧げた生涯』(集英社文庫)をはじめ、『確執と信念』(扶桑社)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(ダ・ヴィンチBOOKS)など著作多数。

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