巨人・松井颯「凡人でもやればできると証明したい」高校時代は控え投手「育成の星」の挑戦 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro

 当時、明星大の監督を務めていたのは、大昭和製紙など社会人野球で経験豊富なベテラン・浜井?丈(ひろたけ)監督だった。浜井監督は松井に対して「加藤初(元巨人ほか)のスピードに、安田猛(元ヤクルト)のキレとコントロールを兼ね備えている」と絶賛していた。それだけに、ドラフト時には「なんで松井が支配下じゃないんだ」と憤りを隠さなかったという。

【育成と支配下の見えない壁】

 入団時、松井に与えられた背番号は021だった。当時、松井は入団経緯についてこんな感想を語っている。

「支配下で呼ばれたかった思いはもちろんあるんですけど、『見返してやろう』と気持ちを切り替えています」

 NPBの門をくぐってしまえば、支配下も育成選手も横一線。そう語る選手や編成関係者も多い。契約金や年俸の多寡はあれど、練習環境面での差別はないに等しい。

 それでも、松井は「見えない壁」を感じていた。

「支配下と育成では立っている場所が違うと感じていました。どうしても扱いが違うというか、『育成は育成』と見られてしまうところはありました」

 松井が胸に刻んでいたのは、高校時代の恩師である岩井隆監督から授けられた言葉だった。

「スタートダッシュが絶対に大事だぞ」

 1年目のキャンプから飛ばし、開幕後は二軍の先発ローテーションに入って結果を残した。「目の前の1試合、1試合で結果を残そう」と無欲に投げる松井は、次の登板を2日前に控えた2023年5月12日に突如東京ドームに呼び出された。

 首脳陣の前で投球練習を披露したあと、当時の原辰徳監督からこう告げられた。

「次の二軍の試合で何もなければ、その次の日曜には一軍で投げてもらうぞ」

 事実上の最終テストだった5月14日の西武戦。松井は4回までパーフェクトの快投を見せる。5回に2失点を許したため不安もよぎったが、試合後に当時の桑田ファーム総監督から「支配下に上げることになったから」と告げられた。

 その瞬間は、飛び上がるくらいうれしかったのではないか。そう尋ねると、松井は淡々とこう答えた。

「素直にうれしかったですけど、そこはゴールではなく通過点なので。支配下になったからといって終わりではなく、そこからはいつもどおりでした」

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