鵜久森淳志は2度の戦力外通告を受け、「パソコンも使えない」「リスケもわからない」まま生命保険の営業マンに転身した (3ページ目)

  • 元永知宏●文 text by Motonaga Tomohiro

── ソニー生命に入社してどれくらいに経ちますか。

鵜久森 2019年に入社したので、今年で5年目になります。勤務スケジュールは、基本的に、月曜日と木曜日にはミーティングがあるので出社します。平日のどこでアポイントメントを入れるか、いつ事務作業をするのかは自分で決めて、調整しています。たとえば、土曜日の10時から商談して、次の場所に移動して14時から商談。また移動して19時から商談、みたいなスケジュールになります。お客さまのスケジュール優先なので、土日も関係ありません。それはプロ野球選手時代と同じですね。

── ユニホームを脱いでから気づいたことはありますか。

鵜久森 野球という競技では、スターティングラインアップに名前が並ぶのは9人か10人。監督がいろいろなことを決めますよね。どれだけ自分の調子がよくても試合に出られないことがある。打席に立てないと反省できませんが、ライフプランナーという仕事はそうじゃない。商談をして、ご契約していただくか、いただけないかという結果が出ます。うまくいかなかった時に、「何がいけなかったのか」と振り返ることができる。そこが一番の違いですね。

── セカンドキャリアに悩む元プロ野球選手にアドバイスを送るとしたら?

鵜久森 毎年、シーズンオフになると、プロ野球選手から相談を受けます。はじめに確認するのは、その人が何をしたいのかですね。その選手がやりたいことを仕分けしてあげることから始めます。まずその人をフラットな目で見て、方向性を示して、選択肢を出してあげるようにしています。いずれにしても、ご飯を食べるためには何かを始めないといけない。もう終身雇用の時代ではないので、手に職をつけるか、自分で切り拓いていける力をつけるか、そういう準備が必要だという話をします。次の人生の選択は本当に大事ですから。

── 今後の目標は?

鵜久森 将来的には、プロ野球選手のように稼ぎたいという思いはあります。でも、どんな仕事でもそうでしょうが、そんなに簡単に年収は上がりません。僕がプロ野球選手だったことは、時間の経過とともに忘れられます。その間に、僕は自分で成長していかないといけない。最後は自分次第。プロ野球選手の時よりも責任を感じながら働いています。


鵜久森淳志(うぐもり・あつし)/1987年2月1日、愛媛県生まれ。済美高3年時に春のセンバツ大会で初出場・初優勝を果たし、夏の甲子園では準優勝。大会後、高校日本代表に選出され4番を担った。04年ドラフト8位で日本ハムから指名を受け入団。右の長距離砲として期待されるもレギュラーに定着できず、15年に戦力外通告を受ける。トライアウトを経てヤクルトに入団すると、シーズン終盤は5番に定着。その後も代打として活躍するも、18年に戦力外となり現役を引退。現在はソニー生命のライフプランナーとして活躍中

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 しかし、プロ野球選手には寿命がある。どんなすばらしいスターも衰えとは無縁ではない。能力が年俸に見合わないと判断されればユニフォームを脱ぐことになる。そのときには当然、年俸はゼロになる。プロ野球以上に稼げる世界などどこにもない。 

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