今中慎二が明かす「10.8決戦」で落合博満から仕掛けられた心理戦 「俺はカーブを狙う」の挑発に「一球も投げられなかった」 (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

【数年後、高木守道が吐露した後悔】

――先ほど(インタビュー前編)は、チームは普段通りの雰囲気だったとのことでしたが、やはり試合に入ると緊張していたのですね。ちなみに、この試合では巨人が先発の3本柱(槙原寛己さん、斎藤雅樹さん、桑田真澄さん)を投入しました。中日側はそのような継投を予想していましたか?

今中 全然予想していなかったはずです。相手のことは全然考えていなかったんじゃないかと。高木守道監督も試合前のミーティングで「とにかく自分たちの野球をやろう。普段通りにやろう」と言っていましたしね。

――対する中日は、今中さんが降板して以降、山田喜久夫さんや佐藤秀樹さんら中継ぎを投入する、いわば普段通りの継投でした。今振り返ってみて、違う戦略で臨むべきだったと思いますか?

今中 思いますね。実際に高木監督も後悔していました。僕が中日の投手コーチになった頃だったと思いますが、ときどき球場で開催されていた中日のOB会で顔を合わせた際、「あの時は巨人がしていたように、うちも主力ピッチャー(山本昌、郭源治など)たちを惜しまずに投げさせるべきだったな」と僕に言ってきましたから。ただ、山本昌さんは中1日(10月6日の阪神戦で完投勝利)でしたし、判断が難しいところだったと思いますけどね。

 高木監督は2020年に亡くなられていますが、今でも後悔しているんじゃないですか。星野仙一さんが「打倒・巨人」で闘志むき出しで巨人戦に臨んでいたことはよく知られていますが、高木さんも巨人に対してはいつも熱くなっていましたから。

――中日は槙原さんから序盤に2点を奪いましたが、その後に出てきた斎藤さん(5回)、桑田さん(3回)の豪華リレーを前に反撃は1点どまり。敗れた後のチームの様子はどうでしたか?

今中 みんなロッカーでざわざわしたり、悔しくて泣いている選手もいたり......。あと、選手会長の川又米利さんをはじめ、仁村徹さん、彦野利勝さんら選手会のメンバーはすぐに監督室に行って、このシーズン限りで退任がほぼ決まっていた高木さんに「来年も一緒にやりましょう」と話をしに行っていました(結果的に1995年まで続投)。僕は選手会ではなかったので行きませんでしたが、川又さんたちも心に期するものがあったんじゃないですか。

 自分は先ほどもお話したように、降板後の試合中はずっとロッカーにいて茫然としていましたし、負けた瞬間はベンチに戻って見ていましたが、「あぁ、終わった......」という感じで。帰りのタクシーでは方向が同じだった立浪和義さん(現・中日監督)と一緒だったのですが、負けたこともあってほとんど会話はなかったですね。立浪さんが「(試合で肩を脱臼したから)しばらくはゴルフができないな」みたいなことは話していたかな。

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