「メンバーを見てレベルが高すぎる!」と驚愕 拓大紅陵高→プリンスホテル入りした元オリックスの小川博文は「なんてところに入ったんだ」 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by PHOTO KISHIMOTO

「その2本のツーベースでレギュラーです。1年生で春から試合に出ている同級生もいて、草むしりが悔しくて、夜もひとりでバット振ってたおかげかもしれません。でも、たぶん監督は、『打ってくれたらラッキー』くらいな気持ちで使ったと思いますので、そこでヒットが出たのは運がよかっただけだと思うんですよ」

 少ないチャンスを最大限に生かせる打撃は大舞台でも変わらず。84年のセンバツでは、3試合で11打数5安打1本塁打と打ちまくっている。172センチと小柄ながらパンチ力があり、二塁守備はスピーディーでダイナミックな動きが光った。その動きに、プリンスホテル野球部監督となる石山建一は目を奪われていた。夏の甲子園初戦、鹿児島商工高(現・樟南)との一戦でのことだ。

【高校野球の監督をやりたかった】

 当時、石山は81年途中に野球部助監督を引責辞任し、関連会社の西武商事に勤務していた。そのため現地には行けずテレビ観戦だったが、一死一塁の場面、サード前にボテボテのゴロが転がり、三塁手が二塁に投げた。当たりが弱いから高校生はゲッツーにはできないと思った次の瞬間、二塁手が極めて素早い動きで送球して一塁もアウトにした。それが小川だった。

 現役時代は内野手だった石山の目で見れば、小川の動きは決してスマートではなく、投げ方も我流で褒められたものではない。だが、ボテボテのゴロでゲッツーにした敏捷性と身体能力は将来性豊かと感じた。同年秋に監督として復帰した石山は、自ら拓大紅陵に出向くことになる。ただ、小川自身、卒業後の進路に社会人野球は考えていなかった。

「甲子園に出て、どうしても高校野球の監督をやりたいと思ったんです。それで小枝さんと面談した時に『進学したいです』と伝えました。そしたら『わかった』と。六大学や東都のセレクションに行きました。ただ、地元の社会人チームからも誘ってもらっていて、最終的にどっちに行きたいかとなって、親も『大学行って何かやりたいことはあるの?』という話になって」

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