盗塁王二度の緒方耕一が30歳の若さで引退も「そこで辞めたのは正解だった」と思うワケ (2ページ目)

  • 長谷川晶一●文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

── どんなシチュエーションだったのですか?

緒方 試合後の全体ミーティングであるコーチから、「1球で終わってどうすんだ!」ってめちゃくちゃ怒られました。当時は「相手投手の出来を見るために粘れ」とか、「1番打者は、とにかく相手投手に球数を投げさせろ」という時代でしたから。叱られたコーチの名前も覚えていますけど、別のコーチがかばってくれましたね。

── そのコーチは激怒していたんですか?

緒方 かばってくれたコーチの名前だけ言いますね(笑)。短期間しか在籍していなかったけど、先日亡くなった中西太さんでした。中西さんが、そのコーチに対して「そんなことを言うのなら、最初から"打つな"のサインを出せばいいだろ!」って、逆に怒って僕をかばってくれました。

【伝説の「10・8」前日に入籍】

── 「現役時代の一番の思い出は1994年の日本一だ」と聞きました。その理由を教えてください。

緒方 この年は、最終戦を長嶋監督が「国民的行事」とおっしゃったドラゴンズと同率で迎えた「10・8」の年ですけど、僕、その前日の10月7日に入籍しているんです。

── あえてその日を狙って入籍したんですか?

緒方 彼女がずっと「25歳の年までに入籍できたら」って言っていたんです。彼女の誕生日は10月15日なんですけど、シーズン中はずっと忘れていまして。数日前にそれに気づいて、スケジュールを見ると7日しか空いていない。それで慌てて婚姻届を提出して、そのまま名古屋に移動したんで、すごくよく覚えているんですよ。シーズンオフの結婚式で、長嶋監督から「どうなんですか、ふたりでこの世の春はもう迎えたんですか?」と言われたことまでよく覚えています(笑)。

── 10・8でリーグ優勝を決め、日本シリーズでは西武ライオンズ相手に4勝2敗で日本一に輝きました。

緒方 僕が入団した87年は西武相手に敗れました。この年はクロマティさんの守備の隙をついた走塁で、辻発彦さんがホームインするという悔しい負け方でした。自分も試合に出るようになっていた90年はやはり西武相手に0勝4敗で完敗でした。僕は3戦目でケガをして、試合に出られないままチームは4連敗。だから、「絶対に西武に勝つんだ」という思いが強かったので、94年の日本一は本当に嬉しかったですね。自分たちが先に優勝を決めた後も、西武を応援していました。「絶対に西武を倒したい」と思っていたので。

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