荒木大輔が振り返るトミー・ジョン手術。日本で3人目に迷いはなかった (4ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News

──とはいえ、当時はまだ「ピッチャーが体にメスを入れるなんて、とんでもない」と言われた時代ですよね。

「そうですね。でも、私には迷う意味がわからなかった。治すためにはその方法しかないなら、手術するしかありません。違うドクターに診てもらって別の選択肢が出てくるのなら、じっくり考えたでしょうけど。日本のスポーツ医療はまだまだでしたから、世界一の名医と言われたジョーブ博士にお願いしようと思いました。手術をすること自体に不安もありませんでしたし、ナーバスになることもなかったです」

──手術やリハビリの費用は相当かかったでしょうね。

「アメリカでは保険が適用されませんからね。ヤクルト球団には本当に感謝しています。合計3度も手術を受け、そのたびにリハビリのために1カ月くらいアメリカに滞在しました」

──当時は、まだリハビリの方法も確立されていなかったのでは。

「いまのように、故障者にコンディショニングコーチがつくことはなかったので、全部自分でやりました。1キロの重さのダンベルを使って10回、それを3セットとか。でも、重さも回数も物足りなくて、不安のあまり、どうしても回数を増やしてしまいました。ジョーブさんには『痛かったらやめなさい』とは言われていたのですが......」

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