甲子園大会は「ノーヒット・ノーラン氷河期」最後の達成者は20年前のダルビッシュ有 (2ページ目)

  • 戸田道男●文 text by Toda Michio

 試合数でのブランクを見てみると、最も長かったのは上記の1958年夏〜1967年春の例で463試合。これに続くのは1982年夏の佐賀商・新谷博(対木造)から1987年夏の帝京・芝草宇宙(対東北)までの422試合、そして、1998年夏決勝の横浜・松坂大輔(対京都成章)から2004年春・ダルビッシュまでの411試合だった。そして、ダルビッシュを最後に始まった空白期間は、今センバツ第5日終了時(3月25日)時点で、じつに1544試合ノーヒット・ノーランなしという事態だ。

 1974年夏の金属バット導入以降、高校野球は「打撃優位」の時代を迎え、打撃面では中等野球時代以来の木製バットの記録を次々と塗り替え、今日に至る。「投手受難」の傾向を示すように、ノーヒット・ノーランは木製バット時代の約60年間で25回(春7回、夏18回)達成されたものが、金属バット後の50年間で10回(春5回、夏5回)と大きく数を減らしている。条件が厳しくなったとはいえ、これまでのブランクを1000試合以上更新し続ける「氷河期」はあまりにも長い。

【9回をノーヒットも延長で涙】

 しかし、20年間のブランクのなかには大きく注釈をつけねばならない試合もある。先発投手が9回までノーヒット投球を演じながら、味方打線の援護なく延長戦に突入して初安打を許す、という悲運のケースで、2004年以降現在まで続くノーヒッター空白期間には下記の2例がある。

 ひとつ目は2009年春のPL学園・中野隆之が2回戦・南陽工戦で9回をノーヒットに抑えながら、両軍無得点で延長に突入。10回表一死から初安打を許して2失点を喫し、試合も1対2で敗れた。

 もうひとつが2018年春の彦根東・増居翔太(現・トヨタ自動車)で、3回戦・花巻東戦で9回をノーヒットのあと、延長10回の先頭打者に初安打を許し、無死満塁から犠飛を許してサヨナラ負けを喫した。

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