「松井秀喜は非の打ち所がなかった」。帝京名誉監督・前田三夫が「楽しかった」と振り返る、明治神宮大会の思い出 (2ページ目)

  • 藤井利香●取材・文 text by Fujii Rika
  • 村上庄吾●撮影 photo by Murakami Shogo

明治神宮大会初制覇初制覇は1986年

 そうして野球部監督としてのクビがつながり出場した明治神宮大会では、初戦で東北(宮城)と対戦。この時の相手指揮官が、のちに仙台育英を率いることになる、竹田利秋監督だった。帝京が先制したのも束の間、中盤に一気に4点をとられ、9回に1点を返したが2−4で敗れた。

 その後、芝草宇宙(当時1年、現・帝京長岡監督)を擁し、1985年に2度目の出場で準優勝。翌1986年も連続出場し、決勝で愛知(愛知)を破って明治神宮大会初制覇を果たした。

 そして、この優勝が起爆剤になったのだろう。翌年の甲子園で帝京は、念願の夏初勝利を果たす。すでに全国に名をとどろかせていた帝京だったが、実はこの時点で夏はまだ未勝利だったのだ。

「監督になって15年目のことです。それを知って驚く人は多いんですが、勝負の世界はやはり厳しい。思った以上に時間がかかりました」

 明治神宮大会での思い出を語る時、前田監督はこのあとの1989年と1991年の大会をよく口にする。

 1989年、初戦で当たったのが明徳義塾(高知)。16−9で7回コールド勝ちしたこの試合、一度は帝京が明徳にコールドで負けそうになった。6回表を終えた時点で2−9と劣勢。しかし、その裏に反撃に出て4点、7回裏には一気に10点とって試合をひっくり返した。

「明徳の馬淵(史郎)監督は当時コーチで、コールド勝ちで試合が早く終わりそうだから、どこかで一杯やりたいなんて考えていたそうです。それが反対にコールドにされ、この時の帝京の印象は強烈だったよと、会うたびに言っていましたよ」

 帝京はこの大会で、最後は東北に敗れるが準優勝を飾る。

神宮球場で行なわれた都大会でゲキを飛ばす前田監督 写真提供/前田三夫神宮球場で行なわれた都大会でゲキを飛ばす前田監督 写真提供/前田三夫この記事に関連する写真を見る

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