箱根駅伝シードに復帰の帝京大 予選会の怖さを中野孝行監督が語る「眠れなくなります」 (2ページ目)

  • 和田悟志●取材・文 text by Wada Satoshi

【毎年、シードを獲れると思ってスタートしていない】

――シード権を取り戻す以前に、予選を通過することに対して、そんな怖さがあったんですね。

「ただ、100回記念大会で、予選会からは13校が出られる、という運がありました。逆に言えば、13位以内で通ればいい。

となると、ひとり平均(ハーフマラソンの距離で)64分で通過できるという計算ができます。5kmを15分15秒ペースで押していけばいいということです。だから、思い切って12人全員で集団走をやろう、などと考えたこともありました。リスクを考えたら、貯金がほしいので、結局は何人かはフリー走行させましたが。

 それともうひとつ、夏休みが短かったので、大学の授業が始まっても選手たちには結構走り込ませました。全日本を考えれば走り込んでおきたかったんです。箱根予選会は通ればいいと考えていたので、疲れを残したままでも構わないと思っていました。

 ところが、走り込ませたおかげで抵抗力が弱くなったのか、9月20日頃に集団で新型コロナに感染してしまいました。罹患した選手は当然休ませないといけないし、誰がかかるかわからないから、罹患していない者も練習を落としました。方向転換せざるをえなかったので、結果として箱根予選会はよかったのですが......。そこで力を使ってしまったし、溜めもなかったので、全日本にとってはよくなかったのかな」

――予期せぬアクシデントではありましたが、その経験が箱根本戦に生きたところはあったのでしょうか。

「そうですね。逆に、箱根本戦は慎重になれました。いや、なっちゃった、と言ったほうがいいのかな。というのも、他の大学でインフルエンザが流行っているというのを噂に聞いたので。そんな噂は安心材料にはなりませんが、うちはそうならないようにと、より注意していました」

――慎重になった結果、箱根に向けてコンディショニングもうまくいったということでしょうか。

「はい。コンディションは良かったと思います。1週間前の10kmのトライアルも、過去最高のクオリティーでした。靴のおかげもあるので10秒、20秒は差し引いて考えなければいけませんが、この程度の練習でこんなに走れるんだ、って思うぐらいの出来でした」

――シーズン当初、1年でシード校に返り咲けるという見通しはあったのでしょうか。

「そうは思いませんでしたね。もっとも、毎年、シードを獲れると思ってスタートしていません。夏にしっかり練習ができれば、これなら10番から漏れることはないな、っていう好感触を得られることもありますが、自分たちの位置がどこになるかはギリギリまで分かりません」

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