女子マラソン前田穂南が日本記録更新の前に「本当の自分を取り戻した」合宿があった (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

【さまざまな要素が噛み合いさらに前へ】

 期待された東京五輪で前田は、新型コロナ感染拡大でオリンピック開催が1年延期となって狂いが生じたこともあり、万全の状態で本番に臨むことができず、33位に終わった。

「いつも人に頼らずひとりで練習をする彼女の場合、重要なのはやっぱり環境だと思います。東京五輪前は新型コロナの感染拡大の影響で、合宿はアメリカには行けず、国内の慣れない場所で練習した。私のミスもあるけど、慣れない場所でペース設定などの部分でどれだけやらせたらいいかというのも難しく、それがケガにつながった。でも今回はアメリカでの合宿も1年間で4回くらいは行っているので、そこで本当の自分を取り戻した感じです」(武富)

 長年積み上げてきたアメリカ・アルバカーキー高地合宿のデータをしっかり生かせるようになったことで、武冨監督も前田も、落ち着いて練習に取り組めるようになったのだ。

 東京五輪後はケガの影響で苦しむなか、それまで履いていた薄底から厚底シューズへの切り替えの対応にも手間取った。初めて厚底シューズを履いてマラソンを走ったのは昨年3月の名古屋ウイメンズマラソンだったが、「ここ1年ぐらいでやっと自分のものになってきた。走りに本来のゆとりというか、動きのタメが出てきたので、今回は狙えるのかなという感じになった」と武冨監督は言う。

 これまではシューズが馴染んでなかったこともあり、途中でペースが変化するとリズムに乗れないことがあったが、今回のレースに向かう過程ではペースチェンジできる力をつけるべくレベルの高い30kmの変化走も取り入れたという。

「4年前に青梅マラソンの30kmを日本最高で走った時の練習から考えれば、質も量もかなり上げて設定しました。それをしっかり消化して、タイム的にもその当時よりも40kmで4~5分縮められたので、手応えは大きかった。今回の練習でできたレベルを何度も繰り返して本当の意味で自分のものにできれば、もっと高いレベルを狙えると思うし、狙いたいなと思います」と武冨監督は表情を綻ばせる。

「ケガもあって思うように走れない期間も多く、すごく悔しい部分があったし、走るのが嫌になったこともありました。でもまたしっかり走って結果を出せたことですごい達成感を感じたし、今回は本当に『走っていてよかったな』と思えました」という前田。

「東京五輪ではすごい悔しい思いがあったので、もう一度パリ五輪で世界としっかり勝負して、自分の走りで走りきりたい」と思いを語った前田。名古屋の結果待ちではあるが、その実現に大きく近づいたことは間違いない。

プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

3 / 3

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る