女子マラソン前田穂南が日本記録更新の前に「本当の自分を取り戻した」合宿があった (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

【積み重ねの手応えと積極性】

 さまざまな要素があったとはいえ、今回の快走を生み出したのは、前田の「日本記録を出したい」という強い思いだった。その走りを見守っていた前日本記録保持者となった野口みずきさんは、「日本記録への執念をめちゃめちゃ感じた」と前田の走りを振り返る。

「たぶん彼女もここに来るまで、MGCが終わってからすごく走り込んだと思います。なので、あの時(レース終盤の苦しい時間帯)はフラッシュバックというか、今までやってきたトレーニングのことなんかを思い出していたと思います」

 野口さんがそう見る一方、武冨監督は長いスパンで積み重ねてきた練習に手応えを感じていた。

「そもそも(10月のパリ五輪選考会の)MGCは暑い条件下でのレースが予想されていたので、記録は狙えないかもしれないけど日本記録を出せるくらいの力をつけていかないと戦えないだろうと、2時間20分を切ることを一番の目標に取り組んできました。今回は条件面をプラスしてレースに臨めたということで、うまくいけば(日本新記録を)狙えるのかなという感じではありました」(武冨監督)

 MGCは、前日までの季節外れの暑さとは対照的に、激しい雨に見舞われ、スタート時の気温は14.3度。そのなかで前田は序盤から積極的に前に出て引っ張ったが、23km近辺での一山麻緒(資生堂)の仕掛けに対応できず7位に終わった。だが、そのレースのダメージは肉体的にも精神的にも少なかった。武冨監督は、そうした背景を交えながら3月の名古屋ウイメンズより1月の今大会を再挑戦の場に選んだ理由を説明する。

「本人はやはり少し時間を置きたかったような感じで最初は(3月の)名古屋という話が出ていたけど、せっかくMGC前の1カ月半、アメリカで土台をつくっていい感じできていたので、ワンクッションを入れるよりはそのまま継続してもうワンランク上の練習をしていこうと話をしました。コンディションが悪くなったりすれば、途中で棄権してもいいからということで大阪を目指しました」

 前田の積極的なレースで思い出すのは、2018年大阪国際女子マラソンだ。マラソン2回目だった2017年8月の北海道マラソンを2時間28分48秒で制していた前田は、大阪では25km手前で30kmまで走る予定のペースメーカーの前に出て一時は2位に40m先行した。結局、31kmすぎで松田瑞生(ダイハツ)に抜かれて2位になったが、2時間23分48秒。そのレース中盤からのスパートも「国際大会に出るなら試してみたい戦い方」と武冨監督が言ったことを受け入れ、「深く考えず体が元気だったのでやってみようと思った」と実行したものだった。

 その積極性が成果となって表われたのが、2019年9月のMGC(東京五輪代表選考会)だった。フィニッシュ時の気温が29.2度まで上昇した熱暑のなか、20km付近で前に出た前田は「仕掛けたつもりはなかったが、いつの間にか後ろの選手がいなくなっていた」と、25kmまでの5kmでペースアップし後続に38秒差をつけると、そのまま差を広げていく圧勝で東京五輪代表の座を勝ち取った。

 大阪薫英女学院高で前田を指導した安田功監督は、日本記録保持者となった前田の高校時代を感慨に浸りながら振り返る。

「力はありながらも高校駅伝の都大地(全国大会)を一度も走ることができなったが、それでも腐らずに常に大きな目標を持っていた。無口で声も小さいけど、マラソンで五輪に出たいとか、私が思っている以上のことを言っていて、あとで『すごいこと言っていたな』と気がつくんです(笑)。今回の日本記録もそうだけど、『無理じゃないか』と思うこともやってしまう」

 中盤から積極的に攻めるレース展開は、前田が「世界で勝負したい」という大きな夢を抱き続けてきたからこそ、確立されたものなのだろう。

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