バスケ→走高跳→走幅跳で「17年ぶりの日本記録更新」 一度は「普通の大学生活を送りたい」と考えた秦澄美鈴が歩んだ異色の道のり (2ページ目)

  • 荘司結有●取材・文 text by Yu Shoji
  • 村上庄吾●撮影photo by Murakami Shogo

【大学卒業後に走幅跳に専念】

 上ではなく前へ――。走幅跳に自らの可能性を感じ始めた彼女は、大学卒業とともに軸足を移す。男子走幅跳元日本記録保持者の森長正樹氏をはじめ、数々の名ジャンパーを育て上げた太成学院高・元監督の坂井裕司氏に師事。伸び盛りの走幅跳に専念する一方で、陸上キャリアの原点でもある走高跳を手放すことに未練はなかったのだろうか。

「未練がなかった、というより、そこにあまり価値を感じていなかったというか...もちろん日本一になりたくてずっとやってきたのですが、日本選手権で入賞すらできなくて『もう高跳びは無理かもな』って若干あきらめていたところもありました。すごく迷ったのですが、今しんどいと思っているものより、『これからどれだけ伸びるんだろう』ってワクワク感のある幅跳びのほうがいいんじゃないかって思ったんです」

 そうして本格的にロングジャンパーとしてのキャリアを歩み始めた秦。坂井氏のもとで踏み切りの基礎から学び直し、社会人1年目(2019年)の日本選手権で初優勝を遂げ「日本一」の座を手にした。ちょうど同年にドーハ世界選手権が開催され、そこで初めて「世界」を目指す気持ちが芽生える。

「大学生の頃に世界陸上を見ていても、自分が出ることはまったく想像できなくて。ただ、ロンドン大会(2017年)あたりから同世代の人たちが出始めて『みんなこういう舞台を狙っていくんや』って薄っすらと感じていて。ちょうどドーハの時期は記録が伸びていて楽しいと思えていたし、初めて『世界大会に出たい』と思いました」

 ドーハ世界選手権の参加標準記録は6m72。当時の自己記録(6m45)ではまだ遠く及ばない世界だったが、少しずつトップアスリートとしての自我が芽生え始めていた。
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