箱根駅伝・復路での「歴代最強ランナー」を識者5人が選出 無名の存在だった選手の激走、ゴールで主将が見せた美しいガッツポーズ (3ページ目)

  • スポルティーバ編集部⚫︎構成

【9区】「復路のエース区間」の衝撃

岸本大紀(青山学院大/2023年):酒井、佐藤

石津佳晃(創価大/2021年):折山

神林勇太(青山学院大/2020年):生島

高橋謙介(順天堂大/1999年):和田

 岸本大紀は2区で日本人1年生最高の1時間07分03秒をマークした逸材で、3年時の2022年は7区で区間賞を獲得しました。9区では前年にチームメイトの中村唯翔が樹立した区間記録(1時間07分15秒)に12秒届きませんでしたが、復路のエース区間を走ったランナーのなかで実力はナンバーワンだったと思います。(酒井)

 前年に続く2年連続の9区で最後の箱根。1万mの自己記録は29分34秒46で無名の存在だった石津佳晃が襷を受けたのは、2位・駒澤大に1分29秒差をつけた1位と想定外の展開だったが、10月に非公認ながら1万m28分39秒を出した自信で前半から突っ込み、逆に3分19秒差まで広げる走りを見せた。「ノーマークの創価大、優勝か」という驚愕の展開にした。(折山)

 期待を背負って青学大に入学した神林勇太。結果的に彼が走ったのは2020年の9区、一度だけだった。キックの効いた走りで区間賞。翌年は主将となったが故障で出走が叶わず。ただし、給水係としてこの9区を走った。原晋監督はこう言った。「給水係がいちばん長く走れるのが横浜駅前。神林に走ってほしかった」。(生島)

 高橋謙介は9区を3回走っているが、駒澤大の初優勝の夢を打ち砕いた1999年の走りが最も心に残っている。約1分あった差をひたひたと詰めていく様はまさに"仕事人"だった。法大に通う息子・一颯(3年)の活躍も楽しみ。現・順大監督の長門俊介は2004年から4年間、9区を担った。4年時に優勝に向かって突き進む攻めの走りも印象深い。(和田)

【10区】フィナーレを飾った主役たち

嶋津雄大(創価大/2020年):折山、和田

安藤悠哉(青学大/2017年):佐藤

中島賢士(早稲田大/2011年):生島

遠藤司(早稲田大/1984年):酒井

 11位で襷を受けた。「自分はライトノベルを書いているので、物語の主人公になろうと思ってスタートした」という嶋津雄大は、榎木和貴監督も驚く積極的な突っ込み。区間記録を19秒上回る快走で9位に上げ、創価大初のシード権も獲得した。網膜色素変性症で暗くなると目が見えにくくなる持病と戦う嶋津の背景も、ドラマを紡いだ。(折山)

 箱根3連覇で学生駅伝3冠達成。ゴールで見せたキャプテン安藤悠哉のガッツポーズは、今も語り草になるほど美しいシーンだった。3冠を狙って臨んだ青学大は、3区で首位に立つとあとは独走状態。安藤は2位・東洋大に6分以上の差をもらって襷を受け、23.0km(10区)のビクトリーラン。青学黄金時代到来を決定づけた駅伝だった。(佐藤)

 2011年、18年ぶりに総合優勝を果たした早大のアンカーは主将の中島賢士。東洋大に詰め寄られたが、振り切った。その差はわずか21秒差。「運営管理車の康幸さん(渡辺監督)から『30秒切ってるよ!』とか声がかかるんですが、こっちも1km3分で走ってるし、どうしろって感じです(笑)」と中島は当時のことを振り返る。動じない主将が優勝を引き寄せた。(生島)

 遠藤司は3年連続でアンカーを務め、2年連続の区間賞。3年時(1984年)は1時間04分05秒の区間記録を打ち立て、総合優勝のゴールに飛び込みました。区間2位とは2分45秒の大差。1999年にコース変更されるまで破られることなく、最も近づけたのも1994年の山梨学大・尾方剛で53秒差でした。(酒井)

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