箱根駅伝・往路での「歴代最強ランナー」を識者5人が選出 「花の2区」を彩った各校のエースや大逆転を生んだ「山の神」たち (2ページ目)

  • スポルティーバ編集部⚫︎構成

【2区】時代を司ったエースたち

相澤晃(東洋大/2020年):佐藤、和田

三代直樹(順天堂大/1999年):折山

渡辺康幸(早稲田大/1993、95、96年):酒井

瀬古利彦(早稲田大/1978、79、80年):生島

 2年時(2018年)に続く2回目の2区。並走した伊藤達彦(東京国際大)の存在も大きかったが、相澤晃が名だたる留学生もなしえなかった1時間5分台の領域に踏み入れたのは衝撃的だった。どんなに好条件でもなかなか出るタイムではない。翌年にイェゴン・ヴィンセント(東京国際大)があっさり上回ったのも驚いたが......。(和田)

「驚異的なラストの上りの強さ」と自身も2区を2回走った経験のある帝京大・中野孝行監督も絶賛する三代直樹の走り。10kmを29分00秒の通過も、最初の5kmを14分13秒とオーバーペースだった前年より7秒速いタイム。それでも「権太坂まではラクに行った」と、上りのラスト3kmを8分48秒で走りきる強さで当時の日本人最高記録をマークした。(折山)

 渡辺康幸は「必ず走る男」でした。箱根2区は1年時に独走で1時間08分48秒、3年時に1時間06分48秒の区間記録(当時)。4年時は高速スパイクがない時代にトラックの1万mで27分台を3連発の驚異の快走を見せた。最後の2区は序盤で飛ばしすぎながらも1時間6分台でカバー。ちなみに、渡辺が出した全日本大学駅伝8区の56分59秒は、いまだに日本人最高記録です。(酒井)

 1977年から4年連続の2区。ラジオで聴いていた私にとっての「ミスター箱根駅伝」は瀬古さんだけ。当時のことを聞いても豪放磊落。「12月にマラソンを走って、ひと月後に箱根だから、ついでに走ってたんだよ」。1983年に区間距離の変更があり、区間記録から瀬古さんの名前が消えて、どれほど悲しかったことか。(生島)

【3区】歴史を生んだ2020年

遠藤大地(帝京大/2020年):佐藤、和田

イェゴン・ヴィンセント(東京国際大/2020年):酒井

竹澤健介(早稲田大/2009年):折山

金山雅之(早稲田大/1979年):生島

 4年連続の3区。遠藤大地はどんなに不調なシーズンでも、箱根には調子を合わせていた。2年生だった2020年は、イェゴン・ヴィンセントは別格として、従来の区間記録を上回り日本人トップ。総合4位に貢献した。後に日本代表となる田澤廉(駒澤大)や赤﨑暁(拓殖大)にも勝利している。願わくば、競技を続けてほしかった。(和田)

 2区・3区・4区で区間記録を保持するイェゴン・ヴィンセントだが、1年時の3区が最もインパクトがありました。区間記録を2分以上も塗り替える59分25秒をマーク。ハーフマラソンに換算すると58分34秒という凄まじい快走でした。区間歴代2位のタイムと1分30秒差もあり、しばらく破られることはなさそうです。(酒井)

 竹澤健介は、大学4年時の2008年に北京五輪の5000mと1万mに出場し、「箱根から世界へ」を体現。過去2回2区を走ったエースだが、故障で十分な練習が積めず学生最後の箱根路は3区に回っても、走りは別格だった。5km通過14分03秒、10kmは28分13秒と区間新ペース。3分26秒差だった1位・山梨学大を16秒差まで追い詰める衝撃的な区間新の走りだった。(折山)

 1979年の箱根駅伝、瀬古さんから早稲田の襷を受けたのが金山さんだった。現在はロンドン在住、作家・黒木亮氏として名を馳せる。取材で英国を訪れた時、パブで箱根のことを聞いた。「憧れの箱根を走って、これからの人生、何が起きても悔いはないと思いました」。今もビールの味とその言葉が鮮やかに甦る。(生島)

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