日本選手権10000m覇者・塩尻和也が語る「箱根駅伝」を超越した「世界の26分台」を目指す戦い (2ページ目)

  • 寺田辰朗●取材・文 text by Terada Tatsuo
  • 中村博之●取材・文 photo by Nakamura Hiroyuki

【完璧なペースメークの演出と順大時代の礎】

 新記録、好記録量産の背景には、気象条件のほか、大会主催者である日本陸連のペースメークが完璧だったことが挙げられる。

 日本選手権では初めて導入されたペーシングライトが狙いどおり選手たちの目安となったこと(緑や青など色別に設定記録のペースで点滅させる方法)、ペースメーカーのシトニック・キプロノ(黒崎播磨)も日本記録を上回るペースで選手たちを引っ張った。

 標準記録突破が難しい状況の中、選手たちが今後も続く代表争いを見越して選考基準のひとつである勝負(順位)優先のレース(序盤はスローペースで後半勝負になる展開)になれば、それではオリンピックに出場しても戦うことはできない。日本の現状を考えれば、記録のレベルで世界に追いつくことが優先事項だった。

 塩尻もその戦略に沿った走り方をした。

「今回は日本記録ペースで進むレースでした。ラストで無理に切り換えるより、(序盤からハイペースでいき)周りの選手に疲労が出たときに少しでも上げられればと思って走りました」

 それは順大時代から塩尻が得意とするレースであり、序盤から速いペースで押し切るスタイルだ。箱根駅伝で学生ナンバーワンの走力を見せる一方、大学2年時の2016年には3000m障害でリオ五輪に出場、大学3年時の2017年には3000m障害の試合数を絞って10000mの走力アップに取り組んだ。箱根駅伝に向けて走り込みをしている11月後半に、10000mを27分47秒87の学生歴代4位記録(当時)で走った。

 順大の長門俊介監督は当時を、次のように振り返る。

「ほぼ調整をしないで27分47秒だったので、日本記録(当時は27分29秒69)を間違いなく狙える選手だと思いました。当時は(日本では)厚底シューズも浸透していなかったですからね。塩尻はラストも強くなってきていますが、標準記録が上がってラスト勝負にこだわらずに済むことは、塩尻にはよかったかもしれません」

 1区間20km以上の箱根駅伝に出場する選手は、トラックシーズンは10000m中心に出場するのが普通である。だが順大では選手個々の適性を重視するため、1500mや3000m障害などにも出場する選手が多い。特に3000m障害では、日本記録保持者や世界大会代表選手を多数輩出。現在4年生の三浦龍司(順大)が東京五輪で7位、今年の世界陸上ブダペストで6位と、世界レベルの選手に成長した。

「多種目で結果を出したり、卒業後に選手が大きく成長したりするのは、基礎の部分を大学時代に作っているからだと思います」(長門監督)

 クロスカントリーを練習に取り入れたり、動きづくりのドリルを行なったり、近年の長距離強化は走るメニュー以外も重視されるようになっている。その先鞭をつけたのが順大である。澤木啓祐氏(1968年に10000m日本記録を樹立。1500mと5000mでも日本記録を更新)が母校の監督になり、米国オレゴン大学留学後に導入した強化スタイルだ。

 塩尻は社会人1年目(2019年)の9月のレースで右膝前十時靱帯を痛め、東京五輪への挑戦はあきらめざるをえなかったが、約1年のブランクを焦ることなく乗り越えることができたのは、そうした礎があったからと言える。

真の世界基準・26分台への可能性を感じさせる日本記録だった真の世界基準・26分台への可能性を感じさせる日本記録だった

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