初代・山の神「もうマラソンはダメだな」からの復活劇。なぜ今井正人は引退覚悟のレースで結果を出せたのか (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by スポニチ/アフロ

大きな舞台でまたも失敗

 今井は、びわ湖毎日マラソンのあと、半年間ほど、地元に帰るなどして原点を見つめ直す時間を過ごした。高橋尚子さんからは「大きな大会に臨む時も地方のレースに出るぐらいのイメージで、肩の力を抜いてやればいいんじゃない」とアドバイスをもらった。突っ走ると周囲が見えなくなる猪突猛進タイプの今井の心に響く言葉だった。そうして、心身ともにリフレッシュして、モスクワの世界選手権選考会を兼ねた13年東京マラソンに出場した。

「この時は2時間10分29秒で11位だったんですが、『なんかちょっと感覚が変わったぞ』みたいなものがあったんです。ずっと体作りをしてきたこともあってか、動かしたい体と心が少しずつかみあってきた。結果は出なかったんですけど、マラソンを戦える手応えを感じられたのは、すごく大きかったなと思います」

 復調した今井は、19年東京マラソンで2時間10分30秒で総合6位(日本人2位)となり、MGC(マラソングランドチャンピオンシップ・2023年秋開催)の出場権を獲得した。しかし、東京五輪出場がかかったMGCは25位に終わり、母国開催の五輪への出場は実現しなかった。

「15年、北京の世界選手権を決めたあと、体調不良でダメになった経験を活かしてMGCに臨みたいと思っていました。でも足に痛みが出たりして、レースの1か月前からメンタルがガタガタと崩れてしまった。コンディション作りがうまくできず、自分の精神的な弱さが出てしまい、同じ失敗を繰り返してしまったんです」

 人生をかけた大きな舞台で連続の失敗。失意の底に突き落とされた今井は、このMGCのレース以降、マラソンの表舞台から姿を消した。

「足の状態がよくなかったので、もしかするとMGCが最後のレースになるんじゃないかという思いがありました。それでも失敗してしまったので、しばらくはその結果を引きずっていました。ある時は頑張ろうとするけど、次の時にはもうやれないと思ったり、気持ちの波がすごく大きかったですし、自分のなかで整理がつかず、パリ五輪という目標に立ち向かっていけないもどかしさを抱えていました」

 そんな今井を救ったのは、周囲の人の支えだった。森下監督は、丁寧に今井の話を聞いてアドバイスをくれた。中学の時から治療でお世話になっている先生には、自分が今抱えているものを話し、相談にのってもらった。地元の応援団は「頑張れ」と尻を叩いてくれた。沈んでいた気持ちが前に向くようになり、五輪という目標に再び、挑戦する意欲が高まった。

「応援してくれる人やアドバイスをくれた先生方の声は、本当にありがたかったです。それを聞いているなかで、やっぱりこのままじゃダメだなと思いました。高校で陸上を始めた時、五輪に出て、マラソンで勝負すると決めたんですが、それを諦めて逃げちゃダメだなって思ったんです。最後まで100%やってダメなら仕方ないですが、自分自身まだやりきっていない。自分自身を裏切ってはいけないと強く思い、動き出すことができました」

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