神野大地、大惨敗後の本音「マラソンも生きることもやめたくなった」

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by Sato Shun

 藤原コーチとは富士見で何度も合宿を行ない、レース設定でのペース走など新鮮なメニューが多く、それをこなしていくことで「パーフェクトに近い練習ができた」と自信を持って福岡に乗り込んだ。

 しかし、28キロ付近で神野にとっては自身2度目となる棄権に終わった。

「福岡のレースは、正直よくわからないという感じでした。練習をかなりやってきて、ある程度戦える状態にあったので、足が止まった時は『えっ』という感じでした。足の痛みや腹痛が起きたりしましたけど、それは以前のレースでもありました。でも、福岡の時は足がそこで止まってしまったんです」

 質の高い、相当のボリュームの練習をこなしてきた自負があったからこそ、棄権は大きなショックだった。

 藤原も「なぜ?」という思いだったという。

「普通に考えて、あれだけの練習をこなして、棄権という結果に終わるわけがないと思っていました。2分58秒ペースだったんですけど、10キロ過ぎには脱落していった。緊張や焦りはあったと思うんですけど、それにしても『なぜ?』という思いが大きかったです」

 藤原は棄権の要因をなかなか特定できずにいた。

 神野、藤原との話し合いのなかで、テクニカルの部分である調整方法についてはもう一度見直し、変えていくところは変えていこうという結論に達した。同時に、次のレースをどこに設定するのか話し合った。

 福岡国際は途中棄権だったので身体的なダメージは少なかった。神野自身もチームも「びわ湖は無理ではなく、いける」ということで標準をびわ湖に定めた。そしてびわ湖に至るまでの間、神野は大きく変えたことがあった。

「フォームを学生の頃に戻しました」

 これまで1年半、神野はスプリントコーチの秋本真吾に、フォームを含めて走りをみてもらっていた。だが、練習でやってきたことを試合で出せないことに対して、一度立ち止まって冷静によく考えたという。

「秋本さんにフォームを見てもらってきたんですが、練習ではその効果を体感できましたが、レースではなかなかできなくて。フォームが課題であることは自覚していたし、だからこそ秋本さんにお願いしてきました。ただ、フォームを意識し過ぎるあまり、走り辛さを感じていたのも事実です」

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