【続・東京マラソンへの道】中島彩「サイパンで50キロ走って学んだこと」

  • 中島彩●文・写真 text & photo by Nakajima Aya

制限時間ギリギリでゴール。過酷なレースでしたが、来年も再び挑戦しようかと思います!制限時間ギリギリでゴール。過酷なレースでしたが、来年も再び挑戦しようかと思います!★42キロ (10時50分)
 綺麗な海沿いの平坦なコースを走りました。復路を折り返してきたランナーたちに「頑張れ!」と励まされ、「少しでも走らなきゃ」と、スローランニングを継続。フルマラソンに参加していた今までなら、ラストスパートだった42キロ地点を通過。経験したことのない痛みが、背中や肩まで襲いかかってきました。

★50キロ@ゴール (12時25分)
 ラスト5キロでは、給水給食エリアの方が「最後のランナーでしょ! 絶対ゴールできるからね!」と、私だけのために飲み物を与えてくれ、背中をさすり、再びコースへと送り出してくれました。横を走るクルマを運転する人も、クラクションを鳴らして最下位の私を励ましてくれます。そして足を引きずりながら、ビリでゴール。タイムは制限時間(8時間)ギリギリの、『7時間55分28秒』で完走! ゴールでは30名ほどのボランティアの方が待ってくれていて、歓声の中、涙のゴールをしました。

 長く、厳しいレースが終わったあと、頭の中は真っ白になりました。涙が溢れ出て、心臓がドキドキして止まりません。レース直後、私は「終わった~! I finished to run!」と、ずっと叫んでいました。初めてのフルマラソンも、東京マラソンで自己ベストを出せたときも本当に感動しましたが、完走できたことが嘘のように感じたのは、この大会だけです。こんなレース、初めての経験でした。

 そしてレース中、「諦めたいという弱い気持ち」が出つつも、それに打ち勝つことができました。それほど私自身、心と身体の限界を何度も越えた過酷な大会だったと感じています。限界に挑戦したことで、「苦しくても、最下位でも、諦めずにゴールできたこと」が自信となりました。私の心も少しは成長したのかなと思うほどです。

 サイパンマラソンの50キロは、フルマラソンを超える「人生の修業の場」でした。挑戦して良かったと心から思っています。初の50キロ挑戦で、42.195キロ以外の大会も楽しいと、初めて知りました。予想を超える魅力が満載。ぜひ、みなさんにもチャレンジしてほしいです! 私もさらに鍛え、来年、再挑戦しようかなと考えています!

【今週のRUN日記】

3月2日(土) 50キロ @サイパンマラソン
3月3日(日) 休足日
3月4日(月) 休足日
3月5日(火) 休足日
3月6日(水) ウォーキング1キロ @赤坂~新橋
3月7日(木) 休足日
3月8日(金) 夜 10キロ @皇居外周

 今週の走行距離は61キロ。先週の東京マラソンも合わせると、2週間で100キロ以上走っていることになります! しっかり足の状態をチェックしながら、今週も練習に励みたいと思います!

 LET’S RUN WITH ME!!

 今日までの練習の様子は、こちらをチェックしてください!→中島彩オフィシャルブログ「走ろう!彩と。」


【profile】
中島彩(なかじま・あや)
1987年8月1日生まれ、大阪府寝屋川市出身。慶應義塾大学法学部卒。元東海テレビ報道スポーツ局。現在はキャスト・プラス所属のフリーアナウンサー、タレント。身長158センチ。趣味はマラソンの他に、三国志研究、政治研究。


【東京マラソン特設サイト 試走ムービー公開中!】

●中島彩が42.195キロを走ってみた
(1)東京都庁→日比谷 (2)日比谷→銀座四丁目 (3)銀座四丁目→東京ビッグサイト

●クルマで42.195キロを走ってみた
(1)さくっと5分バージョン (2)じっくり10分バージョン

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