ウィルチェアーラグビー・三阪洋行「ロンドンパラがトラウマになった」 (3ページ目)

  • 文●スポルティーバ text by Sportiva
  • 写真●五十嵐和博 photo by Igarashi Kazuhiro

伊藤 日本代表で初めてスターティングメンバーとして出場した試合が、ニュージーランド戦だったことはちょっと運命的なものを感じますね。

三阪 そうなんですよ。粋な計らいもあったと思うんですけど。実は、留学から日本に帰る時、「帰ったら絶対に日本代表に選ばれるから対戦しよう」っていう話はしていたんです。で、ニュージーランドの国内大会のレセプションパーティーで、最後というのもあって、「スピーチしていけ」って言われて。その時ちょうど塩沢さん()からメールで『2003年のゾーン開催が千葉県に決まりました』って連絡が来てて、「どうやら千葉で大会をやることが決まったそうで、僕もその時代表にいるので、ここにいる皆さん、また会いましょう」と言ったら本当になりました。
※日本ウィルチェアーラグビー連盟会長

伊藤 実現したんですね。

三阪 そんな経緯もあって、初代表は特別な場になりました。

伊藤 その翌年にはアテネパラリンピックに出場されましたが、日本は最下位。

三阪 そうですね。ただ最下位の経験が、次はここで勝ちたいっていうモチベーションに変わっていきました。北京パラまで、ニュージーランドに行ったり、キャプテンをやったり、いろんなことに挑戦しました。2008年の北京パラ直前に行なわれた国際大会ではベストプレーヤーをもらったりして、これはイケると思いました。カナダにさえ勝てば、メダルが見えてくるという気持ちで臨んだんですが、残念ながらカナダ戦を落としたことでガタガタと崩れていきました。

伊藤 自信があっただけにショックも 大きかったということでしょうか?

三阪 はい。日本代表を目指すのを辞めようかとも考えました。でもこの結果では終われないと思い直して、ロンドンまでもう一回チャレンジしようといろいろ試行錯誤しました。でもその後、体の調子がすぐれなくて、両手の握力がなくなってきたり。いくつも病院を回ったものの結局回復せず、正直ロンドンパラのメンバーに選ばれるかどうかも微妙な状況だったんです。結果、ロンドンパラでは思うようなプレーが全くできないままで終ってしまいました。

3 / 5

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る