ウィルチェアーラグビー・三阪洋行「ロンドンパラがトラウマになった」

  • 文●スポルティーバ text by Sportiva
  • 写真●五十嵐和博 photo by Igarashi Kazuhiro

盛りあげよう!東京パラリンピック2020(33)

ウィルチェアーラグビー三阪洋行選手インタビュー Vol.2

 現在、千葉県のチームBLASTのプレーヤーとして、また日本代表ではアシスタントコーチとして活躍する三阪洋行。前回うかがった、人生のターニングポイントになったという20歳のときのニュージーランド留学を経て日本代表へと上りつめ、パラリンピック3大会出場を果たした。今回は、ニュージーランド留学後に感じたプレーヤーとしての自身の変化と、出場したパラリンピックについて振り返ってもらった。
前回記事はこちら>ウィルチェアーラグビーとは>

出場したパラリンピック3大会について振り返った三阪洋行出場したパラリンピック3大会について振り返った三阪洋行伊藤数子(以下、伊藤)ニュージーランド留学でウィルチェアーラグビーへの取り組み方は変わりましたか?

三阪洋行(以下、三阪)はい。まず、ラグビーの本場でウィルチェアーラグビーを経験できたというのがすごく大きくて、ニュージーランド代表がいるチームでトップレベルを体験して、よりウィルチェアーラグビーを競技スポーツとして捉えられるようになりました。現地でトップを目指している選手に、障がい者というのを抜きに、アスリートとして必要なことをやっている姿を見せられたことで、この競技の先を感じられたというか......。目指す先には世界があるということを肌で感じられたんです。

伊藤 実感として、ということですね。

三阪 そうですね。

伊藤 大きな転機となったニュージーランドでの4カ月間、留学前と留学後では、ご自身の将来に対するイメージも変わりましたか?

三阪 変わりましたね。外に出て何か変わることってたくさんあると思うんです。百聞は一見にしかずですね。自分が抱いていた障がい者のイメージと、海外の障がい者のイメージが少し違いました。日本では、できないから手伝うとかできないから守るという考えがあると僕は思うんですが、海外は障がいがあっても個を尊重するので、自分でやれるのかどうかという意思表示をまず待ってくれるということが大きかった。

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