ウィルチェアーラグビー・三阪洋行「僕の人生を変えたNZ留学」 (3ページ目)

  • 文●スポルティーバ text by Sportiva
  • 写真●五十嵐和博 photo by Igarashi Kazuhiro

伊藤 親御さんは心配ですよね。

三阪 当然「普通の人でも大変なことなのに、車いすのあなたができるわけない」っていうのも言われました。それでも日本にいて、人に頼り切っている自分がすごく嫌で、それを分かっているのに甘えている自分がさらに嫌で......。そうしたらもう、誰も助けてくれないところに行けば変われるかもしれない、という一種の賭けみたいなところもあったんですよね。調べると絶対不安要素がどこかに書いてあるし、ネットなんかを見ればきっと不安しか出ないと思ったので、リサーチをあまりせずに勢いだけで行きました。

伊藤 滞在先や学校も決めずに行ったんですか?

三阪 はい。最初の1週間だけ塩沢さん夫妻に帯同してもらって、その間に足場を固めようと思っていました。僕としては、現地に行けば何かしら決まるだろうというのが一番の考えで。

伊藤 現地に行ってから不安は出てきませんでしたか?

三阪 最初の1週間はホテル滞在にしたんですが、ホテルに到着して、部屋のカーテンを開けた時に、当たり前ですけど外国人しかいないんです。それを見て初めて、すごいことをしてしまったと、そこで一気に不安が来ましたね。

伊藤 塩沢さんがいらっしゃる間に学校や家は決まったのですか?

三阪 それもすごくタイミングがよかったんです。ホームステイ先は、ラグビー用の車いすを製造している会社の社長のお宅に空きが出て、入れてもらえることになり、学校は、たまたま食事に行ったレストランで働いていた日本人が、自分が通っている語学学校を紹介してくれました。で、車も必要だからといって、中古車を買いに行ったらたまたまディーラーが日本人の方で、安く買えたりしたんです。

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