あるパラリンピック・チームドクターが見た「報道と現実のギャップ」 (3ページ目)

  • スポルティーバ●文 text by Sportiva
  • 竹藤光市●写真 photo by Takefuji Koichi

中村 実は、98年の長野パラリンピックの時にも、朝のテレビのニュースでいきなりパラリンピックで誰が金メダルを取ったとかっていう報道が始まっていました。普通のスポーツ新聞にもパラリンピックの結果が載るようになっていて、なんでこんな急にパラリンピック盛り上がっているんだろうなって思っていたんです。その後、シドニーでオリンピック・パラリンピックが開催されて、マスコミの方も普段は何も取り上げないんですけど、パラリンピックが近付いてくると、だんだん選手の取材とかをしてくれるようになったんです。ただ、そういうマスコミの報道の仕方と、そんなに恵まれた環境でやっているわけではない選手の姿にギャップを感じて、こういう本を書こうという気持ちになりました。実際のところをみんなに知ってもらおうという思いでした。

伊藤 メダル中心の報道の中からは、パラリンピアンの実際の姿が見えてこないということですよね。

中村 そうですね。大体やっぱり、障害で1回落ち込んでスポーツに出会って社会復帰したみたいなストーリーが多いと思います。僕は実際にシドニーパラにチームドクターとして帯同して、多くの選手が競技スポーツとして取り組んでいるという、そういう印象を持ちました。

伊藤 パラリンピックに帯同されたのは、シドニーが初めてだったんですか?

中村 そうです。1984年に大学を卒業して、父親の関係もあって、大学を卒業してすぐにパラスポーツに関わってきました。大分の車いすマラソンや、当時のフェスピック(現在のアジアパラリンピック)で、ずっとチームドクターをしてきたんですが、パラリンピックにチームドクターとして帯同したのは、シドニーが初めてでした。

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