出会う人々に導かれた京谷和幸の「車椅子バスケ人生」とは (5ページ目)

  • 文●スポルティーバ text by Sportiva
  • 写真●五十嵐和博 photo by Igarashi Kazuhiro

伊藤 京谷さんの使命は“伝えていくこと”だと思いますね。

京谷 自分の経験してきたことっていうのは、いろんな人に伝えたいなって思うので、講演活動もやっているんだと思います。

伊藤 その講演活動でも“出会い”という言葉をよくお使いになりますが、こうしてお話を聞いていると、本当に人生の分岐点でちゃんと大切な人と出会っているように感じますね。

京谷 そうですね。それを感じられるようになって自分がやっぱり成長できてるのかなって。昔だったら素通りですよ。ほかの道があっても「サッカーの指導者やるし」とかね。

伊藤 素通りですか。

京谷 ほんとにそんな感じだったんです。もっと言うと、事故があって自分を見つめ直す時間があって、いろんな人たちに対して感謝の気持ちを持てるようになりました。だから、事故で確かにサッカーはできなくなりましたけど、自分を成長させてくれたものって何?って言われたら、事故って答えるかな。そこが原点になっていて、いろんな出会いがあって、そこからいろんな成長が出来たと思っています。
(おわり)

【プロフィール】
京谷和幸(きょうや かずゆき)・写真右
1971年8月13日生まれ。北海道出身。高校時代にはサッカーのユース代表に選ばれ、高校卒業後の91年にジェフユナイテッド市原・千葉とプロ契約を交わした。しかし、Jリーグ開幕年の93年に交通事故で脊髄を損傷し、車椅子生活へ。その翌年に車椅子バスケと出会い、所属した千葉ホークスでは日本選手権で3連覇を2度達成するなどチームの中心として活躍した。日本代表にも選出されて、2000年のシドニーパラから4大会に出場し、北京パラリンピックでは主将を務めた。2012年のロンドンパラ後、現役引退を発表。現在は、大学のサッカー部で外部コーチとして指導している。

伊藤数子(いとう かずこ)・写真左
新潟県出身。NPO法人STANDの代表理事。2020年に向けて始動した「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」では顧問を務めている。2003年、電動車椅子サッカーのインターネット中継を企画、実施。それをきっかけにして障がい者スポーツと深く関わるようになった。現在、障がい者 スポーツ競技大会のインターネット中継はもちろん、障がい者スポーツの楽しみ方や、魅力を伝えるウェブサイト「挑戦者たち」でも編集長として自らの考えや、選手たちの思いを発信している。また、スポーツイベントや体験会を行なうなど、精力的に活動の場を広げ、2012年には「ようこそ、障害者スポーツへ」(廣済堂出版)」を出版した。


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