出会う人々に導かれた京谷和幸の「車椅子バスケ人生」とは

  • 文●スポルティーバ text by Sportiva
  • 写真●五十嵐和博 photo by Igarashi Kazuhiro

盛りあげよう!東京パラリンピック2020(12)

元車椅子バスケット日本代表・京谷和幸氏インタビュー Vol.3

車椅子バスケの現役時代は、シドニー、アテネ、北京、ロンドンと4度パラリンピックに出場してきた京谷和幸さん。2008年北京パラ後には一度引退を考えたことがあったという。しかし、「後輩たちにまだ伝えることがある」と考え直し、4年後の2012年のロンドンパラを目指すことに。前回に続き"日本代表"への思い、そして41歳で出場を果たしたロンドンパラについて振り返ってもらった。(第1回第2回はこちら)

4度目の出場となったロンドンパラリンピックについて語る京谷和幸氏4度目の出場となったロンドンパラリンピックについて語る京谷和幸氏伊藤 ロンドンパラに向けて日本代表に入りましたが、あのときはヘッドコーチが変わって、それまでとはバスケのスタイルも変わりましたよね。

京谷 パラリンピックは4大会に出ていますけど、(練習で)一番走ったんじゃないかな。今まで積み重ねてきた代表っていうものが、全部壊れてゼロに戻ったみたいな感じがあって、それでフェードアウトしていったやつもいました。確かに僕もそういう気持ちはありましたけど、それよりも僕にとって重要だったのは、日本代表に選ばれ続けることだったんです。本当の日本代表選手なら、誰が指導者になろうとも、どういう監督になろうとも、その監督にピックアップされなきゃいけないっていう。それが真の代表だと思うんです。

伊藤 監督が変わっても選ばれ続けることが大事なんですね。

京谷 スポーツ選手である以上、代表っていうのは最終目標であり、そこで世界と戦いたいって思うはずなんです。その思いがあったからこそ、北京パラが終わってからロンドンパラまでの4年間は踏ん張れたのかなと思います。

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