元日本代表・京谷和幸が車椅子バスケとサッカーの二刀流宣言 (2ページ目)

  • 文●スポルティーバ text by Sportiva
  • 写真●五十嵐和博 photo by Igarashi Kazuhiro

伊藤 2020年のパラが東京に決まらなかったら、どうなっていたと思いますか?

京谷 たぶん、そのままサッカーに行っていたと思います。

伊藤 車椅子バスケに関わる運命だったのかもしれないですね。

京谷 もちろん(東京に)決まってほしいという思いもありましたよ。日本で見られるっていうのはすごいことだと思うので。ただ、サッカーの指導者を始めた時に、「東京に決まったら、何かやるべきことが出てくるだろうな」って思ったんです。今自分はこっち(サッカー)に向かって行こうとしている時に、巻き込まれてしまうのがその時はすごく嫌だったんです。足を引っ張られる気がして。だけど、さっき言ったように、いろんな車椅子バスケの現場に行って、心地良さとかを感じたら、気持ちが変わっていきました。やっぱりバスケットにも恩返ししなきゃいけないっていう気持ちが出てきましたね。それで、最終的に3人の方の言葉に後押しされて、サッカーと車椅子バスケ両方のスポーツに関わって行こうと決めました。

伊藤 その3人とはどういう方々ですか?

京谷 最初に言われたのは新聞記者の方で、僕の本なんかを書いてくれているんですけど、その方に、「(サッカーと車椅子バスケ)両方できるのは京谷くんだけだよ。大谷翔平(日本ハムファイターズ)が二刀流できるんだから京谷くんもできるでしょう」って言われたのがひとつ。で、サッカーのライセンスを取るときにお世話になった千葉県の高校サッカー部の監督も、「両方できるのはお前だけだから」って。もちろん、このことは今外部コーチとしてお世話になっている大学の監督にも相談しなければいけないと思いましたが、そんな違うスポーツのことを言っていいんだろうかとも迷っていました。それで、「2020年が決まったので、もしかしたら車椅子バスケの指導育成っていう部分で手伝わなきゃいけないかもしれないです」と伝えたところ、「おまえのやりたいようにやればいいんだから。サッカーもバスケもできるのはおまえだけだから。やれ」と言ってくれたんです。その監督が後押ししてくれたことで、スッと肩の力が抜けて、「じゃあやろう。やっていいんだな」って思えたんです。今はまだ、将来的にどっちの指導者に転がるか分からないですけど、2つの競技を知る新しいタイプのスポーツ指導者を目指していこうかなってやっているところです。

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