東京パラリンピックに向けて。障がい者スポーツの現状 (3ページ目)

  • スポルティーバ●文 text by Sportiva
  • photo by Igarashi Kazuhiro(人物), AFLO

――大会に出てくる選手は一部の選手で、出たくても出られない、出る勇気がないという方はたくさんいるんですか?

伊藤 たくさんいます。大会に出てくるようなトップの選手も含め、障がい者がスポーツを始めるときは、『障がい者スポーツセンター』というところに通った選手が多くいます。例えば足を切断した人が市民プールに入るのはやはり臆するということもある。周りも障がいを持った人だけなら、あまり遠慮なく立ち振る舞える。障がいのある人、ない人一緒にという考えももちろんありますが、一方で障がいのある人たちだけだから始められるという環境も大事だと思いますね。

――その障がい者スポーツセンターは現在どのくらいあるんですか?

伊藤 現在、専門の障がい者スポーツセンターというのは全国で23カ所あります。それだけではなく、今まであった地域のスポーツセンターに障がい者スポーツセンターの役割も持たせていこうという取り組みがあり、そういった場所も合わせると、今は114箇所あります。

――東京にオリンピック・パラリンピックが決まったときには、最初にどんなことを思いましたか?

伊藤 一番強く抱いた感情は“焦り”でしたね。決まったときであと7年。国や組織委員会など公的機関がすること以外に、私自身も何かやらなきゃいけないことがあるはずだと思いました。早く見つけて、行動しなければ、という思いでした。

(つづく)

【プロフィール】
伊藤数子(いとう かずこ)
新潟県出身。NPO法人STANDの代表理事。2020年に向けて始動した「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」では顧問を務めている。2003年、電動車椅子サッカーのインターネット中継を企画、実施。それをきっかけにして障がい者スポーツと深く関わるようになった。現在、障がい者スポーツ競技大会のインターネット中継はもちろん、障がい者スポーツの楽しみ方、魅力を伝えるウェブサイト「挑戦者たち」でも編集長として自らの考えや、選手たちの思いを発信している。また、スポーツイベントや体験会を行なうなど、精力的に活動の場を広げ、2012年には「ようこそ、障害者スポーツへ」(廣済堂出版)」を出版した。

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