楢崎智亜「精神的にもきつくて...」東京五輪で4位と惜敗 「自分は本当に強いのか」と悩み苦しんだ

  • 小宮良之●取材・文 text by Komiya Yoshiyuki
  • 村上庄吾●撮影 photo by Murakami Shogo

楢崎智亜インタビュー 前編

東京五輪で4位もパリで雪辱を期す Photo by Murakami Shogoこの記事に関連する写真を見る

 楢崎智亜は、日本男子スポーツクライマーとして第一人者と言えるだろう。

 高校卒業後、プロ・クライマーの道に進むと、2年目の2016年に頭角を現した。同年の世界選手権では、ボルダリング種目で優勝。2019年の世界選手権では複合、ボルダリングで優勝。名実ともに、世界のトップ・クライマーとなった。

 突出しているのは、成績だけではない。

 自由闊達でダイナミックなクライミングは、楢崎の代名詞になった。全身を使った俊敏性と跳躍は、「ニンジャ」と世界中の称賛を浴び、スペクタクルになっている。細胞のひとつひとつが爆発を起こし、ホールドを弾いて駆け上がる"攻撃的様式"だ。

 2021年の東京五輪では、「金メダル確実」と言われながらも4位に終わり、メダルを逃すことになった。しかし捲土重来、今年のパリ五輪出場権を獲得した。スポーツクライミングの先駆者としての矜持とは――。

 楢崎のトレーニング施設でのインタビューで、パリに向け新たな戦いに挑む「楢崎智亜の今」に迫った。

【器械体操に明け暮れた少年時代】

―まずは、クライマーとしての原点を聞かせてください。

「10歳の時に、家の近くのジムで、兄についていって始めました。スポーツは全般好きだったんですが、クライミングは最初そんなにうまくできなかった印象があって。同世代で始めている子たちがすごく上手で、自分よりもすいすい簡単に登っているのを見て、すごいなと」

楽しさの原点は、負けず嫌い?

「負けず嫌いっていう感じではなくて、初めは自由で楽しいなって。ジャングルジムに近いというか。課題を達成するのが気持ち良かったですね。難易度に合わせた課題があるんですが、初めはできなかったものがクリアできるようになる。今では、(壁の中で)"自由"って感覚が強まって、登れるようになればなるほど、壁の中で人よりも自由に動けたり、同じ課題でもいろんな登り方ができたり、それが楽しさですかね」

―苦労した課題は覚えていますか?

「グレードが10級から分かれているのですが、5級に苦戦したのを覚えています。技術がないなかで力任せに登ってしまっていて。でも、成長を感じられるのが面白くて、さっき取れなかった一手が急に取れることもあるんです。次の課題を登れる、そこの成長が明確でわかりやすい」

―幼稚園から器械体操をされていて、ある日、突然怖くなったそうですが...。

「床が迫ってくる感覚になっちゃって...。体操が大好きだったので、それこそ、週のうち6、7日通うこともあったんですが、急に回るのが怖くなっちゃったんです。小さかったのですぐには恐怖を克服できず、一旦休みにして、体操から離れて違うスポーツというところでボルダリングをはじめた感じですね」

―ある意味、クライミングと出会う運命ですね?

「たしかに。母親が言うには、『そのタイミングで身体のバネの強さが上がって、感覚が変わって怖かったのかも』って。自分は覚えていないんですけどね」

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