養成所の「劣等生」だった内山七海に、現役ボートレーサーが喝「そんな奴の舟券を誰が買うんだ」 (3ページ目)

  • キンマサタカ●取材・文 text by Kin Masataka

【養成所でぶち当たった大きな壁】

 養成所生活は軍隊に例えられるほど過酷である。だが、「訓練はきついものだと思っていた」という内山にとって、規則正しい生活も、外に出られない不自由もまったく気にならなかった。ようやく夢の舞台に手がかかった期待が、それを上回ったからだ。レースを毎日見ていた高校3年生の時に、ボートレース場に行って見知らぬおじさんに教えてもらったようなことが、いくらでも学べることも楽しかった。

 養成所の1日は長い。6時に起床したら朝8時から昼食を挟んで夕方まで訓練。夜は座学に自習と勉強漬けの毎日を送ることになる。

 初期はひたすら旋回の練習をする。7度目の挑戦で入所した"劣等生"は、練習でも遅れをとるようになっていた。練習がうまくいかない日は、就寝前の自由時間になると公衆電話に向かった。

「養成所では毎日3分だけ電話できるんです。かける相手は3人しかいませんでしたけど」

 母親、親友、そして兄。外の世界への未練を断ち切るために、電話番号を3つしか持参しなかったからだ。そこにも内山の覚悟が伺える。

 電話口で母親に愚痴をこぼすと、いつも母親は励ましてくれた。「あなたは頑張ってる」。体力で劣る女性が男性と対等に戦うボートレースという戦場に、自ら飛び込んだ自慢の娘を、母親はいつもやさしい言葉で応援してくれた。

 半年が経って実戦形式になると、さらに大きな壁にぶつかった。

「最初の半年は、操縦は基礎の基礎だから、教習所にいるようなもの。でも、後半になるとレース形式で、他の人と競わされ、勝ち負けで評価されるようになるんです」

 負けたくないという気持ちが自然と生まれる。それまで仲良く学んでいた同期たちが、突然ライバルになったような感覚だった。スタート練習、複数旋回、模擬レースなど実践的な練習が続くと、あまりの難しさにめまいがした。

 旋回はボートレース最大の見せ場である。そして、経験と技術の差が最も如実に現れる。
最初はひとりのターンを学び、やがて複数で旋回する実戦形式の訓練になる。隊形やパターンを変化させ、難易度はどんどん上がっていく。内山は上手にターンをする同期を見て焦っていた。

 その日は、現役の選手と一緒に複数旋回の練習をする予定が組まれていた。自分の技術の低さが情けなく、恥ずかしく思っていた内山は、練習前に「自分は下手くそなんで」と言い訳じみた挨拶をした。

 すると、先輩は真顔でこう言った。

「お前はこれからプロになるんだろう。ファンの期待を背負って、舟券を買ってもらうんだろう。自分のことを下手って認めたら、そんな奴の舟券を誰が買うんだ」

 その言葉が大きな励みになったと振り返る内山だが、ボートレースの本当の難しさに直面するのは、デビューしてからだった。

(後編:目標のA1級へ日々成長中「1号艇のプレッシャーに負けそうになることもある」>>)

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