ボートレーサー内山七海、27歳 高3のときに初めて知った「祖父がボートレーサーだった」で運命が動き出した (2ページ目)

  • キンマサタカ●取材・文 text by Kin Masataka

【祖父もボートレーサー】

 なぜ、そこまでボートレースに心を惹かれたのか。

 初めてボートレースの存在を意識したのは高校3年生の春だった。兄が自宅の近くにボートレース場があることを食事の場で話し始めた。すると、母親の口から驚きの言葉が飛び出す。

「『うちのおじいちゃんはボートレーサーだよ』と言われたんです。びっくりしました。それまで一度も聞いたことがなかったから」

 内山が生まれる前に亡くなった祖父の橋本忠選手は、往年のボートレーサーだった。選手登録番号は671。2023年現在、最高齢のレーサーは1947年生まれの高塚清一。高塚の登録番号が2014だから、かなり前の話であることがわかる。

 どうやら祖父は、ボートレーサーであることを娘たちに隠していたらしい。「我が家は貧乏だから節約しなさい」と常に言い続け、そのくせ、自分だけはいい車を乗り回していた。

 ボートレーサーという職業の危険さ、収入の不安定さを知っていた祖父は、自分に万が一があったことを考え、贅沢させないようにしたのだろうか。

 その話を聞いた時、内山はさしてボートに興味を持たなかった。なぜなら、当時の彼女は教師に憧れていたからだ。

「勉強は全然できなかったけど、いつも先生が一生懸命教えてくれたんです。そういう大人になりたいと思って」

 幼き日の内山はとにかく活発な子供だった。友達と朝から晩まで外で遊び、一年中真っ黒に日焼けしていた。足も遅いし、跳躍力もない。運動能力は総じて高くないのだが、不思議と球技だけは得意だった。小さい頃から兄たちとキャッチボールをしていたからだと内山は懐かしそうに振り返るが、中学はソフトテニスに打ち込み、やがてスポーツ推薦で高校に進学する。

 初めてレースを見に行ったのは、教師になるため大学進学を視野に入れていた高校3年の夏だった。

 家族と一緒にボートレース場に入った途端、モーター音に圧倒された。レースはさらに刺激的だった。一斉にスタートしたボートがコーナーを旋回するたびに盛大な水飛沫(みずしぶき)をあげる。

「なんて面白くて、かっこいいんだろうと思ったんです」

 その日の夜、母親におねだりして、JLC(ボートレースを放送する専門チャンネル)につないでもらった。現在のようにレースがYouTubeで無料配信されていない時代だった。そこから時間があれば、自宅のリビングでレースを見るようになる。そんな内山のことを、家族はどんな目で見ていたのだろう。

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