藤澤五月の社会人デビュー。定時まで働いて練習へ「好物の明太釜玉うどんを食べて、スイッチを入れた」 (2ページ目)

  • 竹田聡一郎●取材・構成 text by Takeda Soichiro
  • 藤巻 剛●撮影 photo by Fujimaki Goh

 定時の17時10分まで働いたら、練習に向かいます。佐久から軽井沢へ向かう途中で、どこかで夕飯を買ったり食べたりするのですが、上信越道の佐久インターチェンジそばの『丸亀製麺』に寄るのが好きでした。好物の明太釜玉うどんやかしわ天を食べて「よし、練習だ!」とスイッチを入れていました。

 だいたい18時くらいからオンアイスでしたが、当時はまだアイスパークはなく、現在の風越公園のプールが『スカップ軽井沢』というカーリング施設でした。そこに行くか、今はもう営業をしていない、知る人ぞ知る『アイアンスタジオ』というジムでトレーニングをするか。18時からオンアイスで、20時過ぎからジム、という日もあったはずです。

 今振り返ると、結構ハードなスケジュールだったんだなとも思いますが、19歳、20歳だった当時は、それでも毎日、楽しかったです。職場の人たちも、『アイアンスタジオ』で仲よくなった常連さんたちも、いい人ばかりでした。

 特に一緒に仕事をしていた検針員のみなさんには、本当にお世話になりました。検針員さんの多くは嘱託のスタッフだったのですが、みなさん親切で、カーリング部を応援してくれて、ひとり暮らしの私に食事を差し入れてくれたりと、私はそのご好意に甘えっぱなしでした。いろいろなものをご馳走になりましたが、何度かいただいた山菜を炊き込んだおこわが美味しくて、あの味が今でも忘れられません。

 現在は、みなさんのほとんどが仕事を離れてしまったようなのですが、当時の検針員さんたちと作った『さつき会』というLINEグループがあって、そこで今も交流させてもらっています。軽井沢で大会がある時は集まって食事をしたり、五輪のあとはメダルを持参して触れてもらったりもしました。

 高校生までの私の生活は、家族や学校の友だち、カーリング関係が中心でしたが、北見を出て、佐久や軽井沢で関わる人が増えて、公私ともに充実している期間でもありました。

TOMIE●ヘアメイク hair&make-up by TOMIE
本多仁美●スタイリング styling by Honda Hitomi
衣装協力/Kastane、RANDATLIP ルミネエスト新宿店

沖縄県南風原町でのカーリング教室に参加した藤澤五月。photo by Takeda Soichiro沖縄県南風原町でのカーリング教室に参加した藤澤五月。photo by Takeda Soichiroこの記事に関連する写真を見る藤澤五月(ふじさわ・さつき)
1991年5月24日生まれ。北海道北見市出身。高校卒業後、中部電力入り。日本選手権4連覇(2011年~2014年)を果たすも、ソチ五輪出場は叶わなかった。2015年、ロコ・ソラーレに加入。2016年世界選手権で準優勝。2018年平昌五輪で銅メダル、2022年北京五輪で銀メダルを獲得した。趣味はゴルフ。

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