「桐生祥秀選手に見に来てほしい?」の質問に「まだダメ」 競輪デビューする「消えた天才」日吉克実の秘めた決意とは (2ページ目)

  • text by Sportiva
  • 高橋学●撮影 photo by Takahashi Manabu

「適性試験を受けた時に、手ごたえがなかったんですよね。だから不合格かなと。合格発表が1月で新年度がすぐなので、4月から正社員は難しいだろうから、塾の講師をしながら、1年間就職活動をする覚悟はできていました」

 そう諦めかけていた合否発表の当日、朗報が届いた。

「うれしかったです。父親もよかったなという感じでした。そこからいろんな方に電話で報告をして......。僕がもし陸上を辞めてスムーズに競輪選手になっていたら、鼻が高くなって調子に乗っていたと思います。僕にとっては2度の受験失敗がいい経験だったのかなと思います」

 この合格をSNSで発信したところ、桐生がそれに反応。日吉のほうから、「もう1回一緒に走ってくれないか」とお願いをしたところ、快諾の返信があった。

「僕には陸上での最後のレース、これで引退だというレースがなかったんです。だからきっぱりとこれで引退したという機会を作りたかったので、桐生にお願いしました。結果的にはボコボコにされましたけど(笑)」

 その模様は桐生のYouTubeチャンネルに残されている。もろちん桐生には完敗したが、その顔は晴れやかだった。

【不安でご飯が喉を通らない】

 養成所の場所は日吉の自宅から車で15分程度。しかし入所から退所までの約10カ月間、一度も帰省することはなかった。いくら陸上で好成績を残せていたとしても、競輪でいきなり通用するわけはない。「陸上選手だったことは考えないようにして、自転車のずぶの素人という気持ちで頑張っていました」と厳しい訓練に必死に食らいつく、競輪漬けの毎日を送った。

 そんななかで、入所中3回ある記録会は、今後競輪選手としてやっていけるかどうかの判断基準となるだけに、日吉にとっても正念場だった。

「第2回目の記録会の前には、どのくらい自分に力がついているか不安で、あまりご飯が食べられませんでした。本番で力を出せなくて、基準タイムに満たなかったらどうしようと。『あなた退所です。さようなら』と言われるのがすごく怖くて、勝手に自分を追い込んでいました」

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