伊藤華英が馬淵優佳と語る現役引退と復帰の難しさ。「一度目の競技生活では、最初から最後までずっと辞めたいと思っていた」 (3ページ目)

  • text by Sportiva
  • 能登 直●撮影 photo by Noto Sunao



現役復帰への思いを語る馬淵優佳さん現役復帰への思いを語る馬淵優佳さんこの記事に関連する写真を見る――周りのサポートの大切さを感じることはありますか。

馬淵 周りのサポートがないと復帰して競技を続けることは絶対に無理ですね。子育てについては、旦那さんも今は離れたところで練習をしていますので、シッターさんにお願いする選択肢もありましたが、子どものことも考えて、両親を含め家族みんなで子育てをすることにしました。

伊藤 物理的な距離は、子育てではとても大変ですよね。私も仕事をしていますので、子育てや家事は夫婦でやりくりをしています。

――馬淵さんが競技復帰の際に、周りの反応はどうでしたか。

馬淵 競技者のなかでは一番年上になるので、今さら帰ってきていいのかな、自分は場違いなんじゃないかなと不安がありました。それに周りから、なんて思われているかを気にしてしまう時期もありました。だからこそ成績を残して、真剣に競技に向き合っていることを証明しなきゃいけないとずっと思っていました。

 だから日本選手権()で自分でも納得のいく結果を出せ、周りも認めてくれて、「頑張って」と声を掛けてくれるようになったことはすごく嬉しかったです。
※女子1m飛板飛込優勝、女子3m飛板飛込4位、女子3mシンクロ2位に入る

伊藤 プレッシャーもあると思いますし、人の目も気になると思いますけど、自分のやっていることにしっかりとコミットしていけば、そのまま進めばいいと思います。競技に対しての向き合い方には人それぞれの思いがあっていいと思います。しかし、とかくトップスポーツには競技だけに集中しろという風潮がありますよね。

馬淵 そうですね。競技以外のことをやったらダメみたいな風潮は感じますね。他のお仕事をしながら競技をやるのはいいことだと思っていますので、それを自分が体現していきたいです。

伊藤 優佳さんがそうやって活躍することで、トップスポーツに存在する固定観念を、少しでも変えられたらいいなと思います。それに伴って選手をサポートしていく体制を作り上げる必要がありますよね。優佳さんには出産して現役復帰するといういいロールモデルになってもらって、それを見て、たくさんの人にチャンスが生まれるといいなと思います。

後編に続く>>

馬淵優佳(まぶち・ゆか)
1995年2月5日生まれ、兵庫県出身。3歳から競技を始め、2009年に東アジア大会3メートル飛板飛込みで銅メダルを獲得。2011年に世界選手権代表選考会の3メートル飛板飛込みで優勝をし、世界選手権に初出場。22歳の2017年5月に競泳日本代表の瀬戸大也と結婚し7月に引退。2018年に第1子、2020年に第2子を出産する。2021年9月、26歳にして5年ぶりの競技復帰を決断。2022年8月、日本選手権の女子1メートル飛板飛込で優勝、女子3メートル飛板飛込で4位、女子3メートルシンクロ飛板飛込で2位となる。

伊藤華英(いとう・はなえ)
1985年1月18日生まれ、埼玉県出身。元競泳選手。2000年、15歳で日本選手権に出場。2006年に200m背泳ぎで日本新、2008年に100m背泳ぎでも日本新を樹立した。同年の北京五輪に出場し、100m背泳ぎで8位入賞。続くロンドン五輪では自由形の選手として出場し、400mと800mのリレーでともに入賞した。2012年10月に現役を引退。その後、早稲田大学スポーツ科学学術院スポーツ科学研究科に通い、順天堂大学大学院スポーツ健康科学部博士号を取得した。現、全日本柔道連盟ブランディング戦略推進特別委員会副委員長、日本卓球協会理事。

■インスタで「スポーツと生理」の教材を配信
伊藤華英さんがリーダーを務める「1252プロジェクト」。これは女子学生アスリートを中心に、10代の若者が抱える「スポーツと生理」にまつわる課題に対し、トップアスリートの経験や医学的知見をもって、情報発信をしているプロジェクト。その一環として、インスタグラムで手軽に学べる「スポーツと生理」の次世代型オンライン教材『1252 Playbook』を配信中。
Instagram:1252project>>

3 / 3

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る