東京五輪の「経費のコスト超過率」は平均のはるか上も、詳細は闇の中。「レガシー」の継承は果たされずに終わった (4ページ目)

  • 小崎仁久●文 text by Kosaki Yoshihisa
  • photo by Kyodo News

 また、政府はオリンピックの有形無形の「レガシー(遺産)」を提供しなくてはならない。つまりオリンピックの名の下に使った公的支出に見合った価値を提供する責任があるとされ、ロンドン五輪閉幕8年後の2020年まで、オリンピック・レガシーの進捗状況の報告が議会により勧告された。

「レガシー」は、東京五輪でも嫌になるくらい聞かされた言葉である。2020年は、「1964年東京五輪のレガシーを継承する」と声高に叫ばれていた。しかし、ロンドンのように、五輪によって作られ、残されたモノの価値が公的支出に見合っているのか、検証しようとはしていない。

 1964年のように「オリンピックのため」に使われた経費のすべてを公表せず、過小見積もりを指摘され、不透明さしか漂っていない。会計検査院の指摘も受け入れず、チェック機能も働かない透明性のない数字は、莫大な公的資金を投入したイベントの未来への教訓にはなり得ない。オリンピック・レガシーという言葉は何であるのか、経費の一点においても、もう一度考え直すべきではないだろうか。

(連載3:オリンピック公式映画はどうあるべきか。『東京オリンピック2017 都営霞ヶ丘アパート』の青山真也監督が語る意義と問題点>>)

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