原田雅彦、長野五輪で金メダル獲得前にあった大スランプ。フォーム改造も「船木や岡部のようにはならない」 (2ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Kyodo News

「体調もトレーニング内容もよくて、十分だと手応えを感じすぎたのかもしれない。試合に入ってもどこか集中できなかったというか、金メダルだと浮足立っていたのだと思う」

 そう話す原田。小野学ヘッドコーチは「2本目も大して不利な状態ではなかったので、90mを越えられなかったのは悔しかった。1本目も普通に跳んでいれば95mに入っているはずだから、力んでしまって自然な動きができなくなっていたと思う」と分析した。

【大スランプを乗り越えて】

 1994年リレハンメル五輪ラージヒル団体のジャンプの失敗以来、ガクンと調子を落としていた原田。追い打ちをかけたのは五輪翌シーズンのW杯開幕戦で、直前に骨折した葛西紀明の代わりに出場した船木が優勝し彗星のごとく世界トップへ駆け上がったことだ。

 船木のジャンプは上半身を動かさず低く鋭く飛び出すのが持ち味。理想形と言われたその飛び出しを意識したことで原田のジャンプは崩れてスランプに落ち込み、1995年1月からはW杯遠征メンバーからも外れた。そして、前回優勝者として出場した2月の世界選手権ノーマルヒルでは、このシーズン総合5位と好調だった岡部孝信が優勝し斎藤浩哉が2位になるなか、原田は53位と惨敗だった。

 周囲では原田について「もう終わりだろう」との雰囲気にもなっていた。低い飛び出しを意識する練習を続けるなか、「俺を船木にさせるつもりか、岡部にさせるつもりか」と、怒りを爆発させた原田は、自分のジャンプを取り戻すための取り組みを始めたのだった。

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