【カーリング】「カーママ」がわずか3年で結果を出せた理由 (3ページ目)

  • 竹田聡一郎●文 text by Takeda Soichiro
  • photo by Nakanishi Yusuke/AFLO SPORT

 そうした中で、数多くの実戦もこなしてきた。特に札幌の男子チームとは年間十数試合も消化して、ゲーム感を常に保つことができた。トリノ五輪では代表チームのコーチを務め、現在は北海道銀行と頻繁に練習試合を行なう男子チームの一員である阿部晋也氏が、間近で見てきた「カーママ」の成長を語る。

「(北海道銀行の選手は)J・D(リンドコーチ)とアイスの上でコミュニケーションをとるようになってから、試合中のオプションが増えました。また、以前(2006年に休養に入る前)の小笠原さんは『それが決まったら大きいけど、ちょっと無理なんじゃないかな』という厳しいショットセレクトもあったけど、復帰後、特にここ2年くらいは、それぞれの選手の特性に合わせたショットを要求するようになった」

 そもそも、北海道銀行の目標は「ソチ五輪出場」ではなかった。小笠原は、チーム発足時に「1、2年で強くなれる競技ではないので、長いスパンでチームを作っていきたい」と言って、「2018年の平昌(ピョンチャン)五輪出場を目指す」と語っている。しかし、若い選手で構成された他の日本トップチームにはない“成熟”という武器を持ち、環境が整ったことで、小笠原ら北海道銀行は急成長した。

 そして、ソチ五輪で新たな経験と成熟を身につけた彼女たちは、休む間もなく、4年後の平昌五輪に向かって動き出した。「全員が高いレベルでショットをつなげないと世界では勝てない」(小笠原)という課題を持って、3月2日から始まった日本選手権に挑んでいる。すでに世界を見据えた「カーママ」たちが、このまま4年後まで突き進んでいっても不思議ではない。


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