バレーボール界の開拓者、ヨーコ・ゼッターランドが説く「規律」と「パワハラ」の区別 (2ページ目)

  • 木村元彦●取材・文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by AFLO

――2012年12月23日、監督の暴力を苦にした桜宮高校のバスケットボール部員の自殺という痛ましい事件があり、続いて女子柔道のパワハラ問題が表面化しました。その後も体罰問題は一向に収まる様子がありません。

「なんでこんなふうになってしまったのか、本当にわからないですね。厳しさイコール暴力ということではないと思うんです。昔の厳しい指導者は、『練習は厳しかったけれど殴られたり、蹴られたりとかではなかった』とおっしゃっている先輩がたくさんおられます。強くなるためには練習をとことんやる。私はそれしかないと思うんです。

 根性がなかったらとてもじゃないですが、究極な状況を戦い抜くことなんてできないです。スポーツにおいて気力はすごく大事なことですから。しかし、人格を否定されるような暴言や殴られることに堪えるのが『根性』だというのは違うと思います。厳しい練習で鍛えられ、耐えられるようになるのが根性です」

―― 一方で暴力を否定することによって、根性とかメンタルの部分をついでに否定するのは良くないですね。

「そうですね。アメリカでは体罰に対する扱いが日本よりも厳しいですけども、精神論のことをまったく言わないかと言ったら、そんなことはないんです。けっこう精神論ですよ。

 チームの場合、個人の位置づけは私が所属していた当時のアメリカナショナルチームですと、『チームあっての自分』。自分勝手なプレーは許されず、結果オーライとは言えない。まずはチームの規律を守り、きちんと遂行できて、初めて自分のオリジナリティを主張できる。それで結果を出すということをしていかないと認めてもらえない。

 指導者が命令形で選手に何かを言うのは当然ですが、それは日本だけではありません。英語でも『Order』はありますから。監督は『I'm not asking you, it's an order』(お願いしているのではない。命令だ)と言います。選手には選択肢はありません。『命令だ』とはっきり言われます。それに従わなければチームを去れということです。そこはすごく厳しいですね。

 組織形態を調節、維持するためには、絶対に必要不可欠なことだと思います。その点は暴力や暴言と混同して欲しくないというのはあります」

――「規律」と「パワハラ」の仕分けをしないと反動が出る可能性がありますね。

「ちょっとしたところで妥協をすることによって、楽しみや良いプレーが生まれるのかと言うとそうではないと思います。妥協せずに苦しいことを乗り越えていくことで初めて良いものが生まれてくると思うんです。そこに厳しさがなくて、気持ちの切り替えとは別に『まあいいよ、次、何とかなる』と、ミスを容認するのはダメですね。

 甘くなると試合で本当に1点が欲しいという時に取れないんです。本当に良いものを作り出そう、勝とうと思ったら安易な妥協はせず、自分に対してもチームメイトに対しても厳しくしないといけない」

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