坂本花織はロシア勢が復帰しても「勝ち続けたい」世界選手権3連覇の軌跡を振り返る (4ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

【ロシア勢が帰ってきても......】

 女子選手の世界選手権3連覇は、1966〜68年のイアン・フレミング(アメリカ)以来で、その偉業に肩を並べた。そのことについて坂本は「すごくうれしいです」と答えてから、「でも、う〜ん」と言葉を詰まらせた。そして、その迷いを振り払うように「いや、うれしいです」ともう一度言った。

 その心のうちにはロシア勢不在の大会での優勝という引っかかりもある。心には常に、「ロシア勢が復帰してきても、しっかり戦えるようになりたい」との思いがある。それは彼女が常々口にしている。それを成し遂げられる手ごたえを得たのが、北京五輪シーズンであり、236.09点という得点だった。

 2022年のシーズンイン前に坂本は「大技がない構成で得点を伸ばすためには、本当に小さな部分を積み重ねていかなければいけない」と苦労を語っていた。

 そして昨年6月には新シーズンへ向け、「大舞台で230点台を出すためには、225点くらいをベースにして、悪くても220点は常に出る感じにしたい」と話していた。

 昨季からそれまでの坂本をつくり上げたとも言える振り付けのブノワ・リショー氏から離れて新たな世界を追求しているなか、今季はスケートカナダで226.13点、GPファイナルは225.70点を出しながら、世界選手権の大舞台では222点台にとどまったのが納得できていないのだろう。

 今後、ロシア勢が復帰してくる可能性もあるなか、坂本はこう明言する。

「もちろん彼女たちが帰ってきてからも、勝ち続けたいとは思っています。ただ、今のままではダメだっていうこともわかっている。今できることを精一杯やって、もっともっと自分自身のレベルを上げていけたらなと思っています」

 世界選手権3連覇達成。その偉業を自分自身に納得させるためにも、さらに進化し続けなくてはいけないという決意を新たにする言葉だった。

プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

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