羽生結弦も浅田真央も...ゼロからスター選手を生み出してきた、日本フィギュアスケート界、名伯楽たちの系譜 (2ページ目)

  • 辛仁夏●文 text by Synn Yinha
  • photo by Yohei Osada/AFLO SPORT

【大切にしてきた「滑る技術」】

 男子ではグルノーブル五輪代表の小塚嗣彦と11年世界選手権準優勝の小塚崇彦の小塚親子らも育成している。2010年には世界フィギュアスケート殿堂入りも果たしている国際的にも有名な指導者のひとりだ。

 現在、81歳になるが、いまだリンクに立ち、若い選手たちを変わらぬ姿で指導し続けており、次世代コーチからもその教えを請われる存在であり続けている。現役時代はスコーバレー(14位)、インスブルック(8位)の両五輪代表で、全日本選手権では前人未踏の10連覇を達成している。母親も指導者だった佐藤コーチは、小学5年から本格的に練習を始めたという。

 佐藤コーチはスケーティングの指導に定評があり、「サークル(円)を描くことが大事」と、コンパルソリーの基本練習を徹底的に行なう指導方針で知られている。

 コンパルソリーとは、片足で滑り出したまま惰性で円を描いて、片足のまま元の場所まで戻ってきて、そこで足を替えて、同じように反対側に円を描いて、その間にターンをしたり、カーブの方向を変えたりして、規定の図形を滑ることを言う。正確なエッジに安定して乗らなければ、片足のまま元に戻ることもできず、図形も描けない。基礎的な「滑る技術」を磨くためには、地味なコンパルソリー練習が必要不可欠だと、教え子たちにその練習を徹底して求めてきた。

 選手の個性を尊重しながら、「特別なことはしない」「いつも同じことをする」「平常心」「自分を信じる」というキーワードを指導モットーに掲げて柔軟で堅実な指導を行ない、佐藤信夫イズムに触れたトップ選手たちを輩出している。

 3人目として挙げるのは、世界中のフィギュア選手に衝撃を与えた、女子フィギュア史上初めてのトリプルアクセルジャンパー、伊藤みどりを育てた山田満知子コーチである。今年6月の誕生日で80歳を迎える、フィギュア王国・名古屋に君臨する大立者と言っても過言ではないだろう。

 7歳でスケートを始め、大学卒業後に周囲から請われて指導者の道に入った。そして原石だった伊藤を見出すと、下宿をさせながら指導にあたり、アルベールビル五輪銀メダリストに導いたことで、世界にその名を知らしめた。

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