アメリカ大会で逆転負けも、羽生結弦の未来に不安を感じない理由 (2ページ目)

  • 青嶋ひろの●取材・文 text by Aoshima Hirono
  • 能登直●撮影 photo by Noto Sunao(a presto)

日本人選手が表彰台を独占したスケートアメリカ。羽生の次戦は11月のNHK杯日本人選手が表彰台を独占したスケートアメリカ。羽生の次戦は11月のNHK杯
「絶対次は勝ちたいです!」

 彼が言うならば、やってくれるだろうな――何の疑いもなく、周囲の誰もがそう思えるのだ。

 羽生結弦は、逆境に強い。プレッシャーやトラブルを楽しめる、「多少の困難があったほうが燃える」などと言う、ちょっと特異な強さを持っている。

 ふだんの試合でも、アクシデントのひとつやふたつ起きたほうが「かえって開き直り、気持ちが落ち着く」というのだ。たとえば今年3月の世界選手権では、棄権を考えるほどの捻挫を大会期間中に負い、さらにフリー直前にエッジケースや衣装の手袋を紛失しかけながら、見事にフリー2位、総合3位。

 今回のスケートアメリカでも、飛行機の出発に出国対応が間に合わず、乗り遅れるというハプニング。スケジュール管理が最重要事項となる試合で、なんと到着予定が丸1日遅れてしまったのだ。焦るオーサーコーチをよそに、「ちょっと大変でしたけど、自分の中では吹っ切れました」などとうそぶき、ショートプログラムでは驚異の高得点を叩きだした。

 これまでの彼のスケート人生をふり返っても、この種の強さは際立っている。たとえばホームリンクを失うという長期的な困難に2度見舞われ、2度ともそれを飛躍のきっかけにしているのだ。

 スケートリンクが経営難で一時閉鎖された時には、「十分に練習できない辛さ」をバネに替え、リンク再開後、中学1年時の全日本ノービスで優勝。そして、昨年の東日本大震災で再びリンクを失った時も、アイスショーの全国行脚で練習不足を埋め、世界選手権の銅メダリストに。
 
 そんな「逆境王」の羽生結弦にとって、今年のシーズンオフはあつらえたように苦難の連続だった。17歳での世界選手権銅メダル獲得は、嬉しいことばかりではなく、密かに強い風あたりの元にもなった。「僕の結果を本当に祝ってくれる人なんて、少ないと思う」などと思いつめた言葉を吐くほどに。

 世界中の男子スケーターが自分をターゲットに追いかけてくるという立場に、いきなり立たされる。そんな「周りの目」の変化も、ひと夏を通して感じ続けた。若き銅メダリストには多くの注目が集まり、殺到する取材、ふくれあがったファンの数に、戸惑うこともあった。

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