オカダ・カズチカは「プロレス界の大谷翔平になれる」WWE殿堂入りの大先輩・藤波辰爾が激励 (3ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji

【レスラー兼社長になる棚橋に望むこと】

一方で藤波は、大黒柱を失った新日本にもエールを送った。

自身は1999年から2004年まで同団体の社長を務めた。昨年12月23日には棚橋弘至が、藤波以来となるレスラー兼社長に就任。その棚橋にこう呼びかけた。

「オカダが抜けた穴を誰が埋めるのか。今の選手を育成することも大切ですが、棚橋にはほかの分野から新しい選手を発掘することにも乗り出してほしい」

かつて新日本は、大相撲の元横綱・双羽黒の北尾光司、柔道世界王者の小川直也ら、他分野のトップアスリートをデビューさせてきた。こうしたスカウトには賛否両論あったが、プロレスファン以外にも大きな話題を提供したことは事実だ。だからこそ藤波は、「オカダが抜けてファンは寂しい思いをしているはず。お客さんの度肝を抜く選手を発掘することで、またプロレスに多くの目を向けてほしい」と願った。

1972年3月にアントニオ猪木が旗揚げした新日本は、今年で創設52年目を迎える。半世紀を超える歴史は栄枯盛衰の繰り返しで、チャンスはピンチの始まりであり、危機はさらなる成長へのきっかけでもあった。団体の旗揚げメンバーのひとりである藤波は、2006年の退団まで激動の歴史を目にしてきた。

「新日本の最大の武器は"歴史"です。棚橋には『これまでの新日本の歴史を振り返ってみろ。そこにたくさんの答えが隠れている』と伝えたいですね。選手としては団体の苦しい時期を経験したでしょうが、今度は"社長"としても会社を支えないといけない。

会社が傾いた時にどうやって起死回生して復活したのか。興行的にきつい時期はあっても、新日本は必ず這い上がってきました。棚橋にはオカダが抜けた後も、ファンのために団体を成長させていってほしいです」

藤波は棚橋に激励の言葉を送ったあと、最後にオカダへこんな希望を託した。

「海外でトップに立った後、いつか日本に凱旋帰国してもらいたい。アメリカで羽ばたき、世界的なプロレスラーになった経験を日本のマットに還元してほしいですね。それが何年後になるかはわかりませんが、それによって日本のプロレスはさらに繁栄するでしょうから」

 オカダには、IWGP世界ヘビー級王者の内藤哲也をはじめ、多くのレスラーがエールを送る。さまざまな思いを背負いながら、"レインメーカー"はアメリカのリングに立つ。

【プロフィール】
藤波辰爾(ふじなみ・たつみ) 

1953年12月28日生まれ、大分県出身。1970年6月に日本プロレスに入門。1971年5月にデビューを果たす。1999年6月、新日本プロレスの代表取締役社長に就任。2006年6月に新日本を退団し、同年8月に『無我ワールド・プロレスリング』を旗揚げする(2008年1月、同団体名を『ドラディション』へと変更)。2015年3月、WWE名誉殿堂『ホール・オブ・フェーム』入りを果たす。

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